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【対談】グローバルの流儀

グローバルの流儀 フジサンケイビジネスアイ紙 特別対談シリーズ『グローバルの流儀』は、弊社代表の森辺がグローバルで活躍する企業の経営トップにインタビューし、その企業のグローバル市場における成功の原動力がどこにあるのか、主要な成功要因(KSF)は何かなど、その企業の魅力に迫る企画です。本企画は2015年にスタートし、今年で9年目を迎えます。インタビュー記事は、新聞及び、ネットに掲載されています。


Vol.14 日本が誇る乳酸菌飲料「カルピス」を、世界の100年ブランドへ

アサヒ飲料株式会社 代表取締役社長 岸上 克彦 氏

1919年、日本初の乳酸菌飲料として誕生した「カルピス」

森辺: 「カルピス」といえば、日本人なら誰もが知っている昔ながらの飲料というイメージですが、 私は幼少期にシンガポールに住んでいて、その頃にはすでにスーパーに「カルピコ」という名前で並んでいた記憶があります。 現在では多くの国に浸透していますね。 まずは、アサヒ飲料様におけるカルピスという製品の歩みをお聞かせいただけますか?

岸上: カルピスは1919年に発売された日本初の乳酸菌飲料です。 カルピスの生みの親である創業者の三島海雲は、ある時、内モンゴルに入る機会があり、 そこでカルピスの原点である、牛や馬の乳を乳酸菌で発酵させた発酵乳「酸乳」と出会ったんです。 長旅の疲れから体調を崩していた海雲が、遊牧民たちが毎日のように飲んでいたその酸っぱい乳を勧められるままに口にしたところ、 体調がすっかり良くなり、遊牧民の知恵と「酸乳」の健康効果に驚きを受けました。 日本に帰って来てから、人々の幸福につながる事業を起こしたいと奮闘していた海雲は、 内モンゴルでの経験をヒントに、おいしくて人々の健康に役立つ飲料を作ろうと研究を重ね、 1919年にカルピスの発売に漕ぎつけたんです。

海雲は、カルピスの本質は、“おいしいこと”、“滋養になること”、“安心感のあること”、“経済的であること”の4つだと言っています。 「おいしい」のは飲料ですから当然のことですが、「滋養になる」とは現在でいうと乳酸菌の健康への恩恵を受けられること。 「安心感」とは牛乳という自然の恵みからできていること。 それから「経済的」とは、当時は水で希釈する希釈タイプの飲料としてのスタートでしたから、薄めて飲むことが非常に経済的だということです。

カルピスは時代とともに姿や形を進化させてきましたが、根本的な部分は変わることなく、やがて国民的飲料として愛される商品へと成長していきました。 その根本にあるのは、海雲が生涯をかけて貫いた「国利民福」、つまり、国家の利益となり、人々の幸福につながる事業を成す、ということです。 その想いは変わることなく、当社に受け継がれてきています。 だからこそ、お客様に98年間にわたってご愛顧いただいてくることができたのではないでしょうか。

森辺: カルピスはもうすぐ100周年を迎えるというわけですね。 日本でカルピスを一度も飲んだことのない人なんて居ないですよね(笑)。 カルピスほど愛され続けている飲料は、他にはないといっても過言ではありません。 昔、母親に作ってもらったカルピスのあのおいしさの記憶があるから、今でも自動販売機でカルピスを見かけると、ついついボタンに手が伸びてしまう。 すばらしい商品ですよね。

岸上: 森辺さんのお母様が作ってくれたのは、瓶に入っている希釈タイプで、水玉模様の紙に巻かれていたものですね。 日光や温度から中味の品質を守るために、発売当初から長年にわたってそのタイプが親しまれていましたが、 その後は紙容器やプラスチックボトルに姿を変えています。 容器と容量についてはかなり厳選を重ねてきましたが、中身は変わらないままです(笑)。 それから、さまざまな素材をミックスしたタイプや「カルピスソーダ」といった派生を生みましたが、 大きくブレイクスルーしたのが1991年に発売した、薄めずに飲める「カルピスウォーター」です。 ずっと慣れ親しんでいただいているカルピスの味が、家だけではなくいつでもどこにいてもおいしく飲める。 この「カルピスウォーター」の誕生によって、カルピスブランドが一気に広がっていったと考えています。

日本生まれ、日本育ちの3つの100年ブランドがアサヒ飲料の誇り

森辺: アサヒ飲料様全体でいうと、100年続いている飲料はカルピスの他にあるのでしょうか?

岸上: アサヒ飲料社としては、日本生まれ、日本育ちの100年ブランドを他に2つ持っています。 「三ツ矢サイダー」が134年、「ウィルキンソンタンサン」が114年。 ウィルキンソンは海外ブランドだと思われがちですが、実はウィルキンソンさんというイギリス人の方が神戸の宝塚で発見された鉱泉なんですよ。 今でも神戸の丘の上の外国人墓地にウィルキンソンさんのお墓があって、私も定期的にお参りに行っています。

カルピスと合わせて3つの100年ブランドを持っていることが当社にとっては非常に大きな武器だと思っていますし、 他社さんにはない特徴だといえるでしょう。 先ほどお話ししたカルピスの本質の中の、“おいしいこと”、“安心感のあること”は、後の2つのブランドにも共通しています。 ピュアで自然だという特徴が、100年ブランドになり得た大きな理由なのではないでしょうか。

森辺: 消費者が求めているものにずっとマッチし続けてきたからこそ、100年続いたということですね。 三ツ矢サイダーは甘さやスッキリ感のバランスが最高に絶妙で、私は同じような透明な炭酸飲料の中でダントツのおいしさだと感じています。 飽きのこない味も、100年ブランドのカギでしょうね。

飲料の分野に限らず、日本の消費財メーカーの場合、品揃えがどんどん変わっていって、 長くても30、40年ぐらいで1回転してしまうというイメージがありますが、 そんな中にあって、御社が100年ブランドを3つも持っているという事実には大変驚きました。

ブランドとして変えてはいけないことと、時代の中で変えていくべきこと

森辺: 1919年に発売されてから、カルピスがこれだけの圧倒的なブランド力を確立してきた背景には、何があったのでしょうか? 創業当時は一社一品主義といった感じでしたが、特定保健用食品の認可がきっかけになって、多角化へと方向転換されたように思われるのですが、 その辺りのお話をお聞かせください。

岸上: ブランドとして変えてはいけないことと、時代の中で変えていくべきことがあると考えています。

当社にとって変えてはいけないことは、カルピスの4つの本質です。 おいしく、健康に役立ち、ピュアで自然に由来し、家計を圧迫しないこと。 これらの点を全く変わらずに貫くことによって、日本初の乳酸菌飲料としての誕生、 そして先ほどお話しした「カルピスウォーター」の登場によってカルピスを飲むシーンが広がったことにより、 段階的に大きくブランドを確立してくることができたといえるでしょう。

変えていくべきこととは、時代やお客様が潜在的に求めるニーズに応えることです。 当社は日本で最初の乳酸菌飲料を提供する会社の使命として、乳酸菌を研究し、乳酸菌を使ってどのようにお客様のお役に立つか、 ということを一番に考えてきたという背景があります。 その結果、乳酸菌の発酵技術を使ってさらに健康に役立つ商品をお届けしたい、という想いが芽生え、 カルピスブランドから「アミールS」をはじめとする特定保健用食品を発売することとなりました。 また、直近では機能性表示食品として、「カラダカルピス」という商品を発売し、お陰様に大変ご好評をいただいています。 「乳酸菌で体脂肪を減らす」という、現代のニーズにお応えした商品です。

ただし、このような時代やお客様が求める商品であっても、あくまでカルピスの4つの本質は貫いています。 その時々に応じて、お客様に、あるいは時代背景に合った商品へと進化してきたということだと考えているんです。

森辺: 根幹にあたる重要な部分は変わらずに、カルピスブランドのコンセプトの中にありながら、ニーズに応えていくというわけですね。

カルピスのブランド力の秘密は、世代を超えて家族全員に愛されること

岸上: もう一つ、カルピスというブランドが確立できた背景には、世代別のターゲティングがしっかりできていたことが挙げられます。

カルピスがお子様から年配の方まで、世代を超えて楽しんでいただける一番のポイントは、エモーショナルな付加価値です。 カルピスを水で割るというひと手間を必要とすることによって、誰かが誰かに作ってあげるというシチュエーションが生まれます。 お母さんがお子さんに、おじいちゃんがお孫さんに、奥さんがご主人に。 もちろん、自分で自分に作ってあげてもいいんです。 ひと手間かけることによるエモーショナルな付加価値があるからこそ、 手軽に飲める「カルピスウォーター」が誕生した後にも、希釈タイプの人気が衰えないのだと思います。

そして、お母さんにカルピスを作ってもらっていた子どもたちが、 成長して中学生、高校生頃になると少しポップなものが飲みたくなって、自分のお小遣いで「カルピスソーダ」を買う。 大学生くらいからは手軽に買える「カルピスウォーター」を中心に飲むようになる。 さらにその人たちが中年になると、血圧が気になれば「アミールS」、あるいは体脂肪が気になれば「カラダカルピス」を愛飲する。 もっと年配になると、自分たちが子どもの頃から慣れ親しんだカルピスをもう一度飲みたくなる。 そしておじいちゃん、おばあちゃんがまたお孫さんに作ってあげる。 このような、人の一生に沿った世代別のターゲティングができていることがカルピスならではの強みだといえるでしょう。

森辺: そのようなマーケティングスタイルは、オリジナルとダイエットとスーパーダイエットのようなスタイルよりも、もっと進んでいますよね。 生まれてからずっと、世代を追うごとにいろいろなカルピスを飲んで、それを次の世代に伝えていくという。 98年間続いていることにはきっと、「次の世代に伝えていく」ということが大きく影響しているのでしょう。

カルピスといえば、ドラッグストアのチャネルを伸ばしていったことが知られていますが、 これも世代別ターゲティングの一環として、幅広い世代が利用するドラッグストアに着目したのでしょうか? 専門の営業部隊を育成しているとお聞きしたんですが。

岸上: 旧カルピス社の時代に、特定保健用食品を広めていくためにドラッグストアへのチャネルを開拓しました。 当時はドラッグストアには医薬品が置かれている、というのが世間の常識でしたから、 飲料メーカーとして参入したのは当社が先駆けだったのではないかと思います。 ちょうど日本においてドラッグストアが非常に成長期であり、医薬品だけではなくさまざまな商品を扱おうという計画が整いつつあったので、 そこへ我々が営業をかけることでチャネルを広げていきました。

数ある乳酸菌飲料の中で、2次発酵による甘酸っぱさはカルピス独自

森辺: 乳酸菌は今でこそ注目されていますが、カルピスが日本初の乳酸菌飲料だということは知らない人が多いかもしれませんね。

岸上: 発売当初は知られていたのでしょうが、10年くらい前からでしょうか、 カルピスの良さというものを十分にお客様にお伝えしきれていないという問題が持ち上がりました。 今の消費者は、カルピスは「白くて甘い飲料」だという認識で、 これが牛乳由来の乳酸菌飲料であること、日本初の乳酸菌飲料だということは理解されていないということが分かったのです。

そのことに気付いて、当時、私がプロジェクトリーダーを引き受けたばかりの頃ですが、 カルピスのブランディングをもう一度考え直す、ということを真剣にやり始めました。 カルピスはどのようにしてつくられ、どのような品質なのかを一から伝えることに取り組んだのです。 その甲斐あって、また「カルピス=乳酸菌」という認識が浸透してきているのではないかと思います。

牛乳を発酵させることで生まれるカルピスの甘酸っぱさは、唯一無二のおいしさだと思うんですよね。 発売当初は「初恋の味」というキャッチコピーがついていましたが、まさにそんなイメージです。 いわゆる乳性としての味や乳酸菌飲料は世の中にたくさん存在していますが、 乳酸菌と酵母で2回発酵することで生まれる甘酸っぱさはカルピス独自のものなのではないかと自負しています。 このことを、もっと消費者に浸透させていきたいですね。

森辺: 乳酸菌は今、世界中でブームになっていて、他社の乳酸菌飲料やヨーグルトはもちろん、チョコレートやグミでも乳酸菌が入った商品が出てきています。 「乳酸菌」とうたっていて、ヨーグルト味にしたら何でもOK、というような……。岸上社長はこのブームについてどのように思われますか?

岸上: 我々としては100年近くもコツコツとこのカルピスという商品を温めてきたわけですから、 ブームに乗っている他社商品とは一線を画したいところではありますね。 乳酸菌や牛乳由来の食品は古くから世界各国に存在しています。 そういう意味では全世界で共通のシーズなのかもしれないですね。 ブームではなく、昔から変わらないおいしさと健康に役立つ食品として、カルピスが全世界に浸透していけたら理想的だと思います。

ASEANを中心に30カ国へ海外展開。現地の消費者に合わせた商品を開発

森辺: 御社の海外展開は、1960年代に台湾に現地法人を作って、 70年代にアメリカに駐在事務所を開設するなど、日本の飲料メーカーとしては比較的早いですよね。 1980年代後半くらいには、ASEANを含め、いろいろな国のスーパーでカルピスやカルピコを見かけていた記憶があります。 今の海外展開の状況はどのようなものなのでしょうか?

岸上: 現在は、海外7拠点でカルピス事業を展開し、輸出も含めると約30カ国でカルピスをご愛顧いただいています。 創業者の三島海雲が中国大陸に渡ったというご縁と、日本との親和性が非常に強いこともあり、最初に進出したのは台湾でした。 海雲はもっと積極的に海外へ進出したいという想いが強く、亡くなった後にもその意志は後継者たちに引き継がれる形で、 アメリカやASEANへ展開を進めていったんです。 現在、海外拠点の中心はASEANで、工場を持っているのがタイ、インドネシア、マレーシア。 これらの国内で販売すると同時に、ベトナムやミャンマーなど周辺の国々に輸出を行っています。

森辺: ASEANでも、お母さんが子どもにカルピスを作ってあげて、それが、その国の味になっていく、という成長のパターンなのでしょうか?

岸上: それに近いですが、ASEANを含めて海外の場合は、日本のように水で割るよりも、そのまま飲む方が好まれます。 今、我々が海外で行っているビジネスのほとんどが、希釈タイプではなく、そのまま飲むタイプですね。 ただ、味の濃さは現地の好みに合わせ、ASEANでは日本より少し甘みが強く、濃い印象に仕上げています。 薄めないとはいえ、「お母さんが子どもに飲ませる」というスタンスは日本と共通しているといえるでしょう。 乳酸菌飲料という、健康に役立ち安心感のある飲料のマーケットは非常に大きな成長過程にあるんですよ。

インドネシアでは1995年から「カルピコ」というブランド名で商品を展開していますが、 「カルピコミニ」という容量が60mlくらいの小さなボトルを日本円にすると10円くらいで販売していて、これがよく売れています。 健康的なおやつ代わりとして、お母さんが子どもに飲ませているんですね。

森辺: 私の知っている時代にはまだコンクタイプがメインでしたが、カルピス様の海外展開はずいぶん変わってきたんですね。 インドネシアの中間層以下の子どもたちをターゲットにした「カルピコミニ」は、まさにカルピスの4つの本質を体現した商品だと思います。 おいしく、健康に役立ち、ピュアで自然に由来し、経済的だということ。 ASEANで大きなマーケットを持つ中間層を狙うには、特に経済的であることは大きなポイントになっていますね。

私もインドネシアはとても大きなポテンシャルを持った市場だと感じているので、これからの伸びにも期待できると思います。 その他のASEAN諸国ではどのような事業を展開しているのでしょうか?

岸上: タイではアサヒグループとして、2013年にオソサファ社との合弁会社を設立しています。 マレーシアではコンデンスミルク・エバミルク市場において第2位の市場シェアを占めるエチカグループを2014年にアサヒグループの子会社化。 カルピスブランドを投入してからはまだ1年ほどですが、順調なすべり出しです。

森辺: ASEANではスーパーを中心としたモダン・トレード(MT)でカルピスをよく見かける印象がありますが、 トラディショナル・トレード(TT)についてはいかがでしょうか?

岸上: MTについては、グローバル・チェーンやローカル・チェーンのスーパーなどに展開していますが、 旧カルピス社の営業では、むしろTTに、いわゆるどぶ板営業のような感じで入り込んでいったという歴史があるんですよ。 海外の現地法人に赴任した日本人の営業担当者が、最初はろくに現地の言葉を話せなかったのが、 1年、2年と経験を積むうちに、TTへの置き回りをこなすほどに成長している姿を見て、大変頼もしく思ったものです。 そういう経験が強みになり、MTに対する営業にも生かされているのかもしれないですね。今後も更にTTは重要視をしていきます。

森辺: それはすばらしいですね。 日系の消費財メーカーの海外展開でよくあるのが、MTには高いリスティングフィーを積むことで入りやすいものの、 そこから売り上げが及ばずに、リスティングフィーの回収ができないまま撤退せざるを得ないというパターン。 そんな状況なので、TTにはほぼ導入できていないというのが実情です。 彼らのチャネル・ストラクチャーを分析してみると、そもそもTTに配荷できるようなディストリビューション・チャネルになってないんです。 1つの国を1つのディストリビューターに丸投げで任せてしまう方法では、 そのディストリビューターがMTには強いものの、TTに配荷できるようなレベルでない場合には失敗することが目に見えています。

NestleやUnileverといった欧米の先進グローバル消費財メーカーの場合、100から150社のディストリビューターを使って配荷していることが、 一般的な日系の消費財メーカーとの大きな違いです。 NestleやUnileverと同等レベルでTTへの配荷に成功している日系企業が、ベトナムにおけるエースコックなどです。 エースコックのマイクロ・ディストリビューション・チャネルはとても美しい。 他にもロートやユニチャーム、味の素も多くのディストリビューターを使って配荷していますよね。 TTの獲得は日系の消費財メーカーにとっては高いハードルになっていますが、そこをうまく超えていったいい例だといえるでしょう。

岸上: 当社もそのようになってくれると本当にうれしいですよね。 ただ、現状ではまだまだ、それだけのセールスフォースがあるわけではありません。 TTについては、現地の合弁パートナー会社が持つチャネルに依存している部分が大きいので、 ディストリビューションの拡大が今後の一番の課題になるでしょう。

海外でも100年ブランドとなれるよう、ゆっくりと時間をかけて育てていきたい

森辺: カルピスがこの先、ASEANの人たちの国民的な飲みものになっていけたら、 アサヒ飲料様にとってはもちろん、日本という国全体にとってもいいことですよね。 日本を代表する飲料が他の国にも浸透していくなんて、我々日本人にもうれしいことだと思います。 何より、いろいろな国でカルピスや三ツ矢サイダーが飲める(笑)。

先ほど岸上社長がおっしゃった「初恋の味」という言葉で私の青春時代がよみがえってきましたが、もっと遡ると小さい頃の思い出の母の味です。 海外でもそのようなキャッチコピーや、世代を超えた家族の味のようなイメージでアプローチしていくのでしょうか?

岸上: 正直、海外ではまだ、そこまでのブランディングができているわけではないので、日本市場と同レベルのキャッチコピーでは訴求していません。 しかし、やはり目指すところは世代を超えた家族の味だと思っています。 先ほどお話ししたように、インドネシアでは小さい子どもたちが、健康的なおやつ代わりとして「カルピコミニ」を飲んでいる。 その子どもたちが、ティーンエイジャーになった時には、日本でいう「カルピスウォーター」を飲むようになる……。 このような日本で確立したマーケティングスタイルが、海外でも定着するようになったら強みになりますよね。

森辺: カルピス様が今後、目指すべき姿はそこなんでしょうね。 欧米のみならず、アジア系飲料メーカーが驚異的な成長を見せる中、 世代を超えて愛され続けるためには長期的な投資をしていくことが大切だと考えています。 一時的にバーンと投資を行って爆発的な売り上げを伸ばすという戦略より、長期的にコツコツと投資を行って、 10年、15年後に今の日本のような成果をASEANでも出していくことが必要だと感じます。 この辺りは如何でしょうか?

岸上: おっしゃる通り、時間がかかる仕事だという覚悟は持っています。 海外においても100年ブランドを築いていくためには、カルピスらしくコツコツと、時間をかけて着実に事業を育てていきたいと考えています。

ゲスト

岸上 克彦

岸上 克彦 (きしがみ かつひこ)

アサヒ飲料株式会社 代表取締役社長

Katsuhiko Kishigami, ASAHI SOFT DRINKS

1954年、京都府生まれ。1976年に立教大学経済学部を卒業し、カルピス食品工業(現・カルピス)入社。1991年、初代「カルピスウォーター」のブランドマネジャーに就任し、大ヒットにつなげる。2005年 執行役員、2008年 常務執行役員。この間、「カルピス」「カルピスウォーター」等の商品開発、マーケティングの責任者などを務め、ブランド価値向上をリード。2013年3月にカルピス株式会社の取締役専務執行役員に就任後、同年9月にアサヒ飲料株式会社との営業統合にあたって、アサヒ飲料株式会社の常務取締役兼常務執行役員に就任。2015年3月に同社の代表取締役社長に就任。

インタビュアー

森辺 一樹

森辺 一樹(もりべ かずき)

スパイダー・イニシアティブ株式会社 代表取締役社長
法政大学経営大学院イノベーション・マネジメント研究科 特任講師

Kazuki Moribe, SPYDER INITIATIVE

1974年生まれ。幼少期をシンガポールで過ごす。アメリカン・スクール卒。帰国後、法政大学経営学部を卒業し、大手医療機器メーカーに入社。2002年、中国・香港にて、新興国に特化した市場調査会社を創業し代表取締役社長に就任。2013年、市場調査会社を売却し、日本企業の海外販路構築を支援するスパイダー・イニシアティブ株式会社を設立。専門はグローバル・マーケティング。海外販路構築を強みとし、市場参入戦略やチャネル構築の支援を得意とする。大手を中心に17年で1,000社以上の新興国展開の支援実績を持つ。著書に、『「アジアで儲かる会社」に変わる30の方法』中経出版[KADOKAWA])、『わかりやすい現地に寄り添うアジアビジネスの教科書』白桃書房)などがある。