森辺一樹(以下、森辺):皆さん、こんにちは。SPYDERの森辺です。前回ね、すみませんね、私の話が長くて10分近く話したのに、なかなか結論までいけなくて。ちょっと前回の整理をしながら、今日もちょっとシェアの高い会社、先進グローバル企業の合理性についてお話をしていきたいなと思うんですが…。
そういうことで、先進グローバル企業のアジア新興国市場での活動を見ていても、非常に合理的で、あらゆる判断が「どっちが合理的か」ということが中心になっているんですよね。もしくは行動が合理的か否かという、もしくはより合理性の高いほうを選択していくということになっているので、これは例えば営業マンの配置とか、営業の仕方そもそももそうだし、マーケティングもそうだし。あと、投資に対する全体最適もどうやって、どれだけ合理的かということが判断の基準になっていますよと。だから、ミーティングなんかに出ると、合理的なのにそれを否定したりなんかすると、もう、「は?」という話になってしまうんですよね。もうその人はたぶん会議から除外されてしまうので、日本だと合理的なのは明らかにこっちなのに、よく分からない理由で、「いや、そうだとしても、こういうルールでやってきているから」とか、「こういう前例はないから」とかね、そういうことは一切出てこないんですよ、ほんとに、会議の中で。「前例がないことはやらないの?」って、前例がないから駄目とかって言った時点で、もうほんとにたぶんみんな凍ってしまうぐらいのマインドセットなんですよね。そういう概念をそもそも持ち合わせていないので。「えっ、合理的なほうはこっちだって分かっているのに、よく分からない情緒的な話で非合理な選択をするの?」って、「あー、もうこの上司は駄目な上司だね」とか、「この部下は駄目な部下だね」という判断に、もうほんとに直結していくので、とにかく先進グローバル企業、シェアの高い企業というのは、これはアジアのローカル系の企業含めて非常に合理的、合理性を重要視しますというのをたくさん見てきたと。一方で、日本の企業は、「いや、現場もこっちのほうが合理的だって分かっているんですよ。ただ、こういうふうにやってきているので」とか、「ただ、法務はこういうふうに言っているので」とか、「ただ、前例がないので」とか、よく分からない状態で進む。そういう会社は結構そのこと自体が問題が大きくなって「もう無理」となったときに初めてそこの議論を始めるので、基本的には遅いわけですよね。だから、なんかね、合理性について、合理的な、このわれわれのDNAの中にやっぱりあって、僕もほんとにそうで、それを訓練して訓練して、日々「合理的なほうはどっちなんだ?」ということをね、会社の中でそうしていて。なぜならば、僕も合理的じゃなかったら、たぶん社員はついてきてくれないし、それこそダメ社長と言われてしまうので、会社では合理的に判断せざるを得ないし。また、この合理的な考え方を家庭に持ち込むと問題になるので、それは駄目だよねって思ってますけども。
でも、やっぱり訓練ですと。これは訓練で変えていくしかなくてね、もともとそうなっているので。だって、学校でもいっぱい非合理なこと、僕、小学校は日本の小学校へ行きましたから、体育の時間に暑いのに水飲むなとかね、意味分かんないじゃないですか、今考えたら。あと、部活でも1年は球拾いみたいな、「えーっ。1年でも2年3年よりうまいんだけど、小さい頃からプライベートレッスン受けてきたから」みたいなのだっているわけですよ。なのに、そんな世界で。会社へ入ってもね、「新入社員は電話取るのが仕事だ」みたいな。電話取りなんて、1~2週間やったらどう取ればいいかなんてもう分かるじゃないですか。なのに、1年間、電話取り続けて左の耳聞こえなくなったみたいなね、そういう非合理が組織の中にもいっぱいあって。でも、思い起こすと、中高、シンガポールのアメリカンスクールに行って思い起こすと、自分たちの教室は自分たちできれいにしましょう、それがいいことですみたいな、日本での常識があるんだけども、いやいや、学生が掃除するよりも、掃除専門の業者さんが来て掃除したほうが絶対に衛生的にきれいになるよねという判断なので、向こうの、西側の学校では基本的には、西側というか、アメリカの学校では基本的には掃除は掃除業者さんがやるものなので、生徒が掃除をするなんていうことはしないわけですよね。例えばね、そういう日々のわれわれの生活の中にもいろんな非合理が詰まっていて。僕もね、これは情緒的にはね、トイレを磨く、うーん、自分でトイレを掃除する、そういう歌とかあるじゃないですか、トイレを磨くとって。情緒的には分かる。ただ、これを一方でアジア新興国市場のビジネスに持ち込んだときに、彼らには通用しないので、これを押し通すというのはなかなかちょっと難しいところがあるので、いかに合理的に考えるかということをやったほうがいいんですよ。最後ね、会社も社員もみんな幸せになるし、合理的なほうがね。なので、まあまあ、そんなことがいっぱい詰まってて。
そうそう、それでね、もっと例え話をすると、たまたま僕の子どもも小さいからあれなんだけども、インターナショナルスクールとかアメリカンスクールって、サマーボーイと言って、いわゆる向こうの学校は9月、6月卒業9月入学なので、夏に生まれてしまうと早生まれになってしまうわけですよね。日本だと3月生まれとか2月生まれ、1、2、3月は早生まれですよね。僕、これ、自分で子どもを持って思ったんだけども、1年、3歳~4歳、4歳~5歳でこれは幼稚園へ行くわけじゃないですか。5歳で幼稚園へ行く。1年違うと体も違うし、できることも違うし、精神的なあれもね、結構違う子は違うんですよね。アメリカの学校とかインターナショナルスクールって面白いのが、サマーボーイね、いわゆる早生まれの子は1年学年を落としてくださいと言うんですよね。なぜならば、リーダーに育ちにくいからというわけですよ。要は、早生まれの子は、そうでない子に比べて、1年遅れている、遅い子に比べてね、できることの数が限られているし、あれも低いわけですよね。そうすると、「自分はできないんだ、できないんだ」と思って育っていくと。これはリーダーになりにくいという、これは統計が、データがあるんでしょうね。それにもとづいて1年落としてくださいと。その代わり、もっと大きくなって、ティーンエイジャーになって、小学校・中学校・高校になって、どんどんできるようになったら、飛び級どんどんしてくださいという、こういう仕組みなわけですよね。なので、めちゃめちゃ合理的だなと思って。もうここの時点から違ったら、それは会社組織、合理的な概念って違うよねと。だって、そういう環境で育ってきた人たちがいっぱいいる、その中でも優秀な人たちがいっぱい働いている先進グローバル企業と、日本では、早生まれだろうが、早生まれじゃなかろうが、全員同じ学年です、飛び級、そんなのあり得ませんという話でずっと来ていて、それは前例がないからそんなよくできたって飛び級しませんみたいな話だと思うんですけどね。なので、1つ学年落とすなんてあり得ないですよね。だから、そういう意味ではね、ほんとに合理的に考えられるか否かっていうのはものすごく重要だなというふうにつくづく感じる今日この頃でございます。
「森辺、もうほんとに長いこと何言ってんだ」とお感じになられた方もいらっしゃるかもしれませんが、すみません。最近、特に合理性にこだわって頑張っております。それでは皆さん、今日はこれぐらいにしたいと思います。また次回お会いいたしましょう。