東忠男(以下、東):こんにちは、ナビゲーターの東忠男です。
森辺一樹(以下、森辺):こんにちは、森辺一樹です。
東:前回から引き続き、深センとか香港で起業して2007年に東京に本社を移してきましたと。そこから右肩上がりでいったという話をされたと思うんですけど、そもそもどういうタイミングで東京に戻ってくるというか、本社を移すっていうのはけっこうな決断だと思うんですけど、具体的に決断のタイミングとか、こういうことがあったから東京に戻ってこようと考えたっていうのは何かあるんですか?
森辺:前回少しお話させてもらった、現地の法人が予算権限を持ってない、予算権限は東京の本社が持ってるっていうことがひとつ大きい理由ですよね。あと、あるベンチャーキャプタリストとの出会いっていうのがひとつあって。その人はまだ日本に法人がない時から我々にコンタクトをしてきてて。ベンチャーキャピタルっていうものを使うっていうのもひとつの成長の手だよっていうのをおっしゃってくれてて。その人からエクイティで出資を受けるっていうのもひとつ頭に置いてたっていうのも当然あったし、一番大きいのは東京の本社が予算を持ってたっていう、そこが一番大きかったですよね。
東:そこから3億円の資金調達をして、本社を日本に移してビジネスモデルが固まって、ビジネスが成り立っていったみたいな感じだと思うんですけど、そもそも資金調達って2007年だとまだ30歳前半ですよね。それは具体的にどうやって資金調達をして、そこからビジネスをどうやって伸ばしていったのかっていうことにリスナーの皆さん興味があるところだと思うんですけど。
森辺:グローバルマーケティングとはちょっと関係がないけど、基本的にベンチャーキャピタルっていうのは、出資してくれませんかってこっちから言っていっても絶対に出資してくれないんですよね。いかに向こうから自分の会社に来るようになるか。ですから情報を発信するってことはすごい重要で、自分たちはここにいるよ、こんなことをやってるよ、こういう思いでやってるんだよっていうことを発信しまくると、ベンチャーキャピタルは来てくれるんだよね。その大前提がないと絶対にベンチャーキャピタルは出資をしない、と僕は思っていて、特に日本のベンチャーキャピタルは。幸運にも来てくださってたっていうのはあったんですよね。
その中で自分たちはこういう事業モデルでこういう将来図を描いてるっていう事業計画を出していくわけなんですけど、当然それに賛同してくれたベンチャーキャピタルも、そうじゃないベンチャーキャピタルもいて、賛同してくれたところが総額で、ラウンド2回うってるんだけど、3億くらい資金を入れてくれて、かなりいいバリエーションで株も買ってくれて、でも3億円調達して一気にドーンといったかっていうとそうでもなくて、2007年3月に日本に本社を移して、本社を移した時点でランニングコストが一気に上がるじゃないですか。で、その半年後くらいに1億以上の資金調達をするっていうのを決めてたのね。それがなかったらもううちはアウトだというつもりで荷物を詰めて東京に戻ったんですよ。ですからある意味かなり覚悟をしていった。日本に行かなかったら長くは生きれるんだけど、現地法人は予算を持ってないから東京の予算を取りに行くしかないと。けど東京に取りに出てしまったらコストが上がるから資金調達は絶対にしないといけないってことで、行って死ぬ気で調達やって、最初のラウンドで1億2、3000万出資してもらったんですよ。
当時1億円あったら僕は世界を変えれると思ったんだよね。けど1億円というお金は実際に会社の経営として得てみると大した金額じゃなくて、そんなのすぐなんだよね。1億2、3000万調達してすぐ社員を入れたんだけど、全く事業が伸びない。コストが余計膨らんだだけだったんですよ。2007年に調達してみるみる減ってったの。1億3000万が2000万くらいまで1年くらいでグッと減っていくわけですよ。怖くてね。人様から出資いただいてるお金がそんなスピードで減っていくって。それでも、もう1回ラウンドうってもう一回増資をして、次は1億数千万。最初が1億5000万くらいかな、総額で。その後また1億5000万くらいやって、僕は運が良かったんだけど、リーマンショックがあったでしょ。リーマンショックの1ヶ月前に払い込みが完了したっていうディールがあったんですよ。あれが確か9月15日。僕の誕生日にリーマンショックのニュースが出たんですよ。でも8月くらいからそういう噂が流れてたんですよ。リーマンがまずいみたいな。僕は外資系金融の友達いっぱいいたんで、8月くらいには何となく話を聞いていて、ほんとまずいなと思って。でも8月末くらいには払い込みが完了してたんで、ほんとにギリギリセーフの調達をして、もしリーマンショックが1ヶ月早かったら飛んでたっていうね、
そういう運にも恵まれてたんだけど、それで2回目入れたんですよ。1回目の1億5000万があまりにも急激になくなっていって、人を増やしたんだけど売上あがらないんですよね。やってることがすごくアカデミックだから人を教育するのにすごい時間がかかるし、当時中国の法人に最大で30人とかいましたからね、中国人をマネージするのと日本人をマネージするのってまた違って、僕にとって日本人30人マネージするのとまた違う要素なんですよ。人が増えてって業績あがってこないといろんな問題が会社の中で起きるわけですよ。悪循環に入っていったりするのね。そういうことが重なって、リストラもやったしね。今でもあいつ元気かなあって思うし、社内でいろんな問題が起きたりとかね、あいつには悪いことしたなあってのがいっぱいあるんだけど、そんなかんやでずっと苦労して2回目のファイナンスは絶対に成功させないと、っていうことで得たお金を生き金に変えなきゃってことで人数を増やさずに粛々とやってって、その後のタイミングで一気に会社が伸びていったってそういう経緯ですよね。だからベンチャーキャピタルには本当に感謝しているし、今でも親しくしている人もいますけど。
あと1億っていうお金は事業をやろうと思うと大した金額じゃない。すぐに消えちゃうお金なので、コスト意識がそこですごいついたんですよね。1億5000万が一気になくなるんですよね、2000万に。これって1000万円が200万円になるよりももっと怖いんですよね、1億が2000万円になるのってね。しかも出資してるお金でね。人件費でしょ、それが。固定費ってすぐに出血止められないよね。特に人って、そんなすぐに、はいお前クビねってできないわけですよ。仮にしたとしてもいろんな被害が出るわけですよね。そうするといかに会社にとってコストコントロールをしていくかっていうのはその時の怖さがあってね。僕思い出した、人間にこういう感情ってあるんだと思った。お金が1億から2000万に減って次の調達が出来なかったらアウトだっていう時に、何て言うんだろう、胃が捩れるような思い。お金を調達している当人にしか分からないんですよ、絶対に。ものすごい感情だったんだよね。それがすごい印象深いんだけど、常に恐怖と歩んで生きていく人生になっちゃったんですよ、それからね。恐怖とっていうのは、会社やってるとお金の問題か人の問題しかないじゃないですか、悩みって。もっと言ったらお金の問題しかないんですよ。人の問題はお金の問題が解決する場合が多々あるんでね。そうするとこのお金の問題を、自分で会社やるってことはお給料をもらうんじゃなくて払うわけですよね。そうすると、このお金の問題とずっと一生生きてくことになるんですよね。それが僕は10年間耐え難くて苦しんでたんですよ。けどある時に、慣れようと。この感情と友達になっちゃえと思ったんですよ。そうしないとこっちがやられると。その感情と友達になってからはそんなに考えないようになりましたね。あと稼ぐ自信がついて、稼げるようになったでしょ。そうするとその感情も薄れていくから、それがすごい重要なことじゃないかなと思うんだよね。まあそんな苦労があって、会社が伸びていったと。
東:今日は時間が来ましたのでまた次回いろいろお聞きすると思います。森辺さん、ありがとうございました。
森辺:ありがとうございました。