森辺一樹(以下、森辺):皆さん、こんにちは。森辺一樹です。今日も前回に引き続き、2024年3月23日土曜日に開催予定の米倉誠一郎先生の退官記念シンポジウム&レセプションパーティーの、ご案内は前回したのか、の続きということで、今日は米倉先生と僕の出会いの話とか、米倉先生ってこんな人なんだよみたいな話をちょっとしたいなというふうに思います。
このレセプションパーティーの案内は前回させてもらったので、概要欄にリンクを貼ってあります。1部のシンポジウム、野中郁次郎先生ですとか、青島先生、楠木建先生なんかも、あと、法政大学の高田先生なんかもね、ケネスペクター先生もね、法政大学の、出ますので、あと、一橋大学の島本先生も出るね。なので、ぜひご興味ある方はね、概要欄からリンクをクリックしていただいて。2部のレセプションパーティーも東京アメリカンクラブで200名、1部が400名、2部が200名で、各界の大物もいっぱい来ると思いますのでね、ぜひご興味のある方は申し込んでください。
今日はね、米倉誠一郎先生との出会いの話をしようと思うんですけど、皆さん、米倉誠一郎先生って誰か、たぶん多くの方は知っているんじゃないかなと思うんですけどね。テレビなんかにも出てきますし、顔を見たら、「あー、この人か」っていう人もいらっしゃると思うんですけど。一橋大学の名誉教授で、法政大学大学院の教授で、今回、法政大学の大学院を退官するということで。一橋大学はもう何年も前に退官していて今は名誉教授で、法政大学のほうも退官するということで、この退官記念パーティーをやると。
米倉先生とはね、出会いは10年前。本当に10年前なんですよ。たぶん2014年とかにうちの東がね、僕が前の会社を売却して、このスパイダー・イニシアティブを2013年に東と一緒に創業して、2人で何か立ち上げてがむしゃらにいろいろやっているときに、うちの取締役の東忠男が「アフリカに行ってきていいですか?」と言うんですよね。「えっ、いきなりアフリカ? うち、アジアなんだけど」みたいな。(笑)「いや、この米倉誠一郎先生って面白いんですよ。面白そうです。アフリカのツアーに一緒に行って、どういう先生か見てきます」と言って、いきなりアフリカへ行ったんですよ。創業時のお金のないときにね、「いや、自費で行きますから」とか言ってね、いや、会社で出しましたけどね、そのツアーに参加して。そして、帰ってきて、「この米倉先生は森辺さんと合うと思います」とかっていきなり言ってきて、僕はあまり、先生とか苦手なタイプなので、「いや、いいよ、もう。大学の先生とかややこしいし」みたいな感じだったんだけど、「いや、この先生は違います」と言って。当時ね、六本木ヒルズアカデミーに米倉先生の部屋があって、そこに会いに行ったんですよ。当時の秘書のSさんという人もね、僕は非常によくしてもらって、最近ね、辞めてからはちょっと連絡が少なくなってしまったんだけども…。会いに行って、この米倉誠一郎先生と会ってね、なんかめちゃめちゃフランクというか、適当な感じで、「そうか」とかって、「よし、分かった」みたいな。そこから、挨拶しに行って「こんなことをやっているんです」みたいな話をして。
そこから1年後ぐらいかな、突然、SNSで。Facebookでつながっていて、そのあと、Facebookで「一緒にアフリカに行こう」とかって勧誘されて、「うわー、アフリカ、嫌だよ。なんで俺まで行かなきゃいけないんだ」と。そうそう、最初に会ったときは、なかなかいい先生だなと思ったんですよ、フランクで。そこから1年経ってないかな、半年ぐらいしてから「アフリカに一緒に行こう」と誘われて、人数合わせのうちの1人として呼ばれてね、「いやー、嫌だな、アフリカ」と思って。アフリカへ行くはいいんですけど、団体行動が苦手でね、知らない人と20~30人でアフリカに行くなんて、しかも大学教授がリードしてみたいな、もう絶対に嫌だと思って、もう憂鬱で羽田空港に行って、アフリカに行ったんですよね。7日間ぐらいかな、1週間ぐらい、米倉先生と過ごしていくうちに、先生の人間味みたいなのに触れるわけですよね。
なんかね、一言で言うとね、愛の人なんですよね、米倉先生って。ものすごく愛の人で、弱い者の味方で、なんでこんな、自分にとってまったく得のないことをやるんだろうみたいなことを平気でやるんですよね。そばで見ててね、「この人って愛の人なんだ」と思って。僕、絶対に教育者にはなれないなと思ったんですけど、とにかく弱い者の味方。今まで10年間見てきて、一貫して彼の行動というのは弱い人に寄り添うということに徹底していて、良い悪いではなくて、弱い者に寄り添うというのが、たぶん米倉誠一郎の中ではきっと正義なんだなと、僕は勝手に解釈をしているんですけど。なので、そこに損得勘定がなくて。アフリカのツアーも、結局、先生は当時、手弁当でやっていて、自分で持ち出してやっていて、ツアー会社がついているのに。なので、自分の旅費も自分で払って、20~30人の人を連れていって、何の得もないわけですよ。「先生、なぜこんなことをやっているんですか」みたいな、そしたら、「いやー、アフリカにもっともっと日本が存在感を示さなきゃ駄目だ。中国に負けている」みたいなことを言っていて、事実そうなんですよね。それが機で「米倉誠一郎と行くアフリカツアー」みたいなことを10年近く手伝うことになるんですよね。去年か、2023年が最後で、僕は最後の年だけ行かなくて。8回行ったのかな、結局、アフリカに先生と一緒に。最後だけちょっとお休みさせてもらって、お手伝いをしたという、そんな感じで。
そこから、先生がちょうどこの法政大学の教授、大学院の教授になられたときに、また連絡があって、「おっ、王子」と。「王子」というふうに僕のことを呼ぶんですよね。「王子って呼ばれてる人ってあまりいないので、その呼び方やめてください」って言っているんだけども、「王子」というふうに言って、「法政で手伝ってくれ」と言われて、お声掛けいただいて、講師をやることになって。大して役に立ってないんですけどもね、先生の助手を5年ぐらいやったのかな、結局。そう、それを見ていても、生徒との関わり方が愛の人で。結局、法政大学の大学院のあれって何をやるかと言ったら、日本人の社会人学生に対するMBAの授業と、外国人のMBAの授業があって、その外国人がマイノリティでいるわけですよね、日本に来てね。アフリカから来たりとか、中国から来たり、台湾から、いろんなところから来るわけなんだけども、その人たちのプライベートな悩みまで聞いていく、「事業をやろうと思って、出資してください」みたいな、「まあ、これぐらいだったらいいよ」と言って出してしまうわけですよね。「いや、先生こんなの絶対無理でしょう」と、「これ絶対、これは今出すステージじゃない」みたいなね、「絶対捨てるようなものですよ、お金」みたいなのとかも、結構、気持ちで、「そんなのどうでもいいんだ」みたいな、「彼がやるって決めてやるんだから」みたいなね、そういうのもね、「うーん、すごいな」って。
学生の研究発表みたいのがあって、そのあと飲みに行くんですよ、近くの、学生の、インド人がやっている、インド人だったかな、パキスタン人だったかがやっているカレー屋さんとかで飲みに行って。1人何千円なんですけど、学生の中にはね、バイトしながら大変でやっている人たちもいるし、裕福な学生もいれば、大変な学生もいて、そういうのを全部出すんですよね。「えーっ、大学教授ってそんなに出さないといけないの?」って、僕ね、結構思って、たぶん出さなくていいはずなのに、結構、出してしまうんですよね、そういうところのお金ね。だから、本当に弱い人の味方なんだなと思ってね、真似できないなというのは非常に感じた次第で。
「何か一緒にやってください」とか、「講演してください」とかっていうのもお金じゃない部分がやっぱりあって、熱い思いであったりとか、本当になぜこれをやらないといけないのかということに共感したら、それがただでも受けるみたいなね、そういうところがあったりとか、立場の弱い人たちのお願いは率先して聞くとかね。そんな米倉先生を僕はこの10年間見ていて、もちろん僕より深く長く関わっている人もたくさんいると思います。そうそう、先生のソーシャル・イノベーション・スクールって、先生が立ち上げている学校で、先生は学長で理事長で、僕もそこの理事をさせてもらっていて。事務局長でまた理事でもある前澤優太という人間がいるんですけど、彼にも本当にお世話になってね。彼は、今、本当に米倉誠一郎先生の第一秘書として常に一緒にいるわけなんだけども、その彼なんかはどう見ているかあれですけど。僕は、米倉誠一郎先生と出会って10年、彼を一言で表現するとすると「愛の人だな」というふうに思います。弱い者の味方と。弱い者の味方をすることが、たぶん米倉先生の中での正義なんだろうなというふうに思っていて、とても素晴らしい、素晴らしい先生だなというふうに感じています。その先生が法政大学大学院を退官するということでレセプションパーティーをやりますので、僕も現地に行きますので、第1部、第2部、概要欄にリンクを貼ってありますので、ぜひご興味のある方は参加してみてください。
ちょっと長くなってしまいましたけど、今日はこれぐらいにしたいと思います。また次回お会いいたしましょう。