森辺一樹(以下、森辺):皆さん、こんにちは。森辺一樹です。前回はね、すみませんね、私のどうでもいい話をしてしまいまして、大変失礼いたしました。でもね、このPodcasはもう撮り直ししないと、アドリブでやると決めて台本もないままずっともう10年続けてきているのでね、すみません、そのまま配信していますけども…。
今日はちょっと、もう少しまともなお話をしようかなと思っていて…。先進グローバル企業の合理性みたいなところについてお話をしていきたいなと思っています。もっと平たく言うと、強い企業が非常に物事を合理的に考えるというシーンに僕は今までのこの自分のマーケティング支援の人生の中で何度も立ち会ってきていて、その合理性と、一方で日本の製造業のアジア新興国市場の展開における非合理性にもものすごくたくさん立ち会ってきていて。決して日本企業って戦略づくりが下手とかではなくて、そのもっと根底にある考え方の部分で、モノをつくるという意味では非常にそれは特筆していい考え方なんだけども、一方でモノを売るというマーケティングの川下に入っていくとね、モノをつくるというのはマーケティングの川上だとすると、モノを売るというのはマーケティング行為の川下なので、そこにおいてはやっぱり非常にわれわれが持っている考え方、非合理な考え方というのがそれを邪魔していてね。先進的なグローバル企業がいかに合理性、合理的な判断を大切にしているか、重要視しているかというか、それが唯一の判断基準になっているかという、そういうお話なんですけど、徹底的に合理的かどうかっていうことを見極めていく。広辞苑によるとね、合理性ってどういう意味かと言うと、道理にかなっていることとか、あと、論理の法則にかなっていること、行為が無駄なく能率的に行われることであるというふうに定義されているわけですよね。いろんな決断をするときに、ものすごくこれが先進グローバル企業、つまりはシェアの高い企業というのは合理的なんですよね。要はね、物事を考えるときに、全部の基準がどっちが合理的かっていうことなんですよね。最小の投資で最大の効果をあげる、最小の労力で最大の効果を出すみたいな、すべてが合理か非合理かで判断されていて。
一方で、日本の製造業の会議なんかに出ていると、頭では確かに分かっているんだけども、これが合理的だよねと。ただ、そうは言ってもまあまあまあみたいな、そういうのが絶対出てきてしまうんですよね。「そうは言っても前例がない」とか、「そうは言っても何か問題が起きたら誰が責任を取るんだ」とか、「そうは言ってもリスクはそこにないのか」とか、合理的なほうはこっちだということは分かっているんだけども、なぜかそこにすんなり行けない、シンプルじゃないというね、それが私たちのね、何だろうな、これはDNAにたぶん刻まれていて。僕もこれ、矯正するのにめちゃめちゃ時間かけて、今でも矯正しているぐらいで。歯の矯正の話、前回したのでね。(笑)矯正なんですけど、結局、僕だっていろんな判断を日々していくわけなんですけど、その中で社員からね、「こっちのほうが合理的だ」と言われるんだけど、「そうは言っても」と絶対思ってしまうんですよね。上に行けば行くほど、安泰的な地位にいる人になればなるほど「そうは言っても」って出てきてしまうので。僕も「そは言っても」と思うんですけど、社内ではそんなことは許されないんでね、僕がね、非合理なことを、「そうは言っても、こうこうこう」なんて言ったら社員に徹底的にやられますから、基本的には、やっぱり合理的な判断をせざるを得ないんだけども、すごく訓練が必要で。これをまた家庭に持ち込むと問題が起きたりするんですよね。何でも合理的に進めていくと、「いや、そういうことじゃないから」みたいなね、「私は話聞いてほしいだけ」みたいな話になってしまうので、合理は家庭に持ち込まないと。ただ、一方で、社内ではやっぱり合理的か否かということを唯一の判断基準にすると。
だから、例えばなんですけど、うちの会社は自由出社制にしているんですよね。ダブルワークもOKですと。もちろん申請は必要ですが。なぜこうしたかと言うと、コロナの前までね、2019年までは、2020年の前半まではね、第1四半期ぐらいまでは、僕もね、長年、2002年に最初の会社を立ち上げてから今に至るまで、今までの社員にほんとに謝りたいけどもね、自分が時間通りに来ないのに、社員が遅れるとイラッとするわけですよね。9時出社、自分は9時半ぐらいに「おはよう」とかって言いながら来るのに、ちょっとでも遅れてるのをね、たまたま早く来てちょっとでも5分10分遅れる社員を見るとイラッとしていたんですよね。でも、よくよく考えるとね、結局働いている時間が長いなんていうことはまったく関係なくて、それよりもどれだけ成果をアウトプットできたかということのほうが重要でね。もしくはアウトカムを出せたかということのほうが重要で、それを僕は20何歳のときにね、初めて大学を卒業して会社に勤めたときに、「なぜこんなに非合理だらけなんだろう、大企業って」と思って会社を辞めた経緯があってね。忙しくないのに、みんな無駄に忙しくて、結果を効率よく出すことよりも、頑張ってやった人のほうが偉いみたいなね、物事を効率的にやってしまうよりも、徹夜してやったほうが偉いと。なので、長く働いてないと、どれだけ同じ成果を出しても、「あいつは頑張ってない」という評価になるわけで。そういう時代だったのでね、20数年前とかはね。どの会社でもそうだったんですよね。僕のいた会社だけじゃなくてね。なのに、自分がそうなっているなというふうに思って。そういうところから強制的に自分の考えを変えていって。そしたら、非常にいろんなことがうまく回りだしているし、うちの会社の社員の働き方、自由なライフスタイルですよね、極論を言うと、ハワイに住みながら、ずっと働いてもらっても構いませんよという話ですよね。それによって効率的になるし。僕もたまたま2019年に子どもができて、子どもの送り迎えとかね、育児に参加するということを考えたときに、これ、そういうことだよねということを身をもって感じたので、そうしたのでね。育児不参加のお父さんって、われわれの父親の世代はそうでしたけども、そんなのもう絶対人生無駄にしているので、仕事のために育児に参加しないとかってもうあり得ない判断なので、それで自分の会社の社員にはそうなってほしくないなと思ったので、そういう制度を導入したと。これをもう全部合理的に突き詰めていくとね、「いやー、9時6時でしょう」というのが常識としてあって、それが合理的かどうかなんてもう考える思考が麻痺しているわけですよ、そもそもね。なんですけども、「8時間なんだから、昼休憩1時間とって働く」みたいなね。「でも、それ、3時間4時間でやってしまう人だっているじゃない」みたいな話だから、やっぱりね、それはね、すごくそう思うと。
めちゃめちゃ時間が過ぎてしまったので、今日はこれぐらいにしますけども。そう、だから、先進グローバル企業がいかに合理的かというところのお話ね、その2として、すみません、次回、数日後にまた配信されますので、よろしくお願いします。それでは皆さん、また次回お会いいたしましょう。