森辺一樹(以下、森辺):皆さん、こんにちは。SPYDERの森辺です。今日は、番組に寄せられた質問がいくつかあるので、その回答をしていきたいと思います。当番組では、常時、皆様からの質問を受け付けております。概要欄から入っていただいて、好きに質問をいただければ、どこかのタイミングで番組で回答しますので、よろしくお願いいたします。
今日の質問は、SPYDERなり、私なり、今までやってきたいろんな案件、プロジェクトの中で、難しかったなと、これは大変だったなみたいなエピソードがあれば教えてくださいみたいな質問なんですよね。製造業の方の質問です。非常に丁寧に書いていただいているんですけど、要約するとそういうことです。
難しかったな、大変だったな…。大変だったな、難しかったなというのはたくさんあって、でも、どちらかと言うと、もう10年以上前の話がやっぱり多いのかなと。ここ10年は非常にまとまっているというか、そういう大変なというよりかは、どちらかと言うと楽しいというような思い出というか、記憶しかなくて。私、こういう仕事をしてかれこれ25年近くになるんですけど、自分でね、こういうリサーチ、マーケティング、コンサルティング系の会社を創業して、今、2社目なんですよね。その通算が25年近くになると。やっぱり最初の10年とか15年ぐらいは失敗しかないっていう感じだったんですよね。最初はね、26~27で創業して、中国で創業して、何も知らない、何もできない中で、我流でやっていったわけですよね。確かにね、幼少期をシンガポールで育ったりしているので、アジアに対するある程度の許容感というか、親しみというか、そういうものは十分前提としてあったものの、マーケティングを、じゃあ、何か前職で学んだかと言うとそうでもないし、本当に中国の市場が、2000年前後ぐらいの中国が脈動しだしたぐらいのときに中国にボーンと行って、世界中のお金が集まっているところで何かをすれば、確率的にはいいんじゃないかっていう、もうそれだけで行ったという。だから、よく俗に言う、元P&Gでとか、元なんとかでって、大きな看板があって、そこでしっかり基礎のマーケティングをガーッとインストールされて、その看板をベースに独立してやられているような方たちが結構いらっしゃると思うんだけど、僕にはそういうものがまったくなかったので、ひたすら自分で、自分たちでね、当時の仲間と一緒に、自分たちでやって、転んですりむいて、それがノウハウになってみたいな話がたぶん15年ぐらい続いたんだと思うんですよね。このSPYDERも、2社目で2013年に創業して、10数年が経っているわけですけど、最初のやっぱり3~4年というのはね、会社創業期というのはなんとなくわちゃわちゃするものなんですよね。なので、本当の意味で言うと、もうここ7年ぐらいが非常にまとまってきているのかなというような印象はあるかなと。
なので、質問の答えとしては、15年ぐらいはやっぱり失敗失敗。当時やっぱりあったのは、「アジア新興国に向けての話なら何でもできます」みたいなね、そういうスタンスでいたんですよね。結局、何でもできますは何でもできないので、そこはすごく反省をした記憶が非常にあって。よく世の中で「選択と集中」って言うじゃないですか。言葉としては「選択と集中」って分かってるんですけど、自分が社長になって、経営資源をどう、どれぐらいの経営資源が今自分にはあって、その経営資源の駒をどこにどう進めるかっていうことをやるときって、この選択と集中の意味がものすごく分かってくるんですよね。20代とか30代前半の、経営者としても、マーケターとしても、コンサルタントとしても、リサーチャーとしても、まだひよっこみたいな状態だと、この「選択と集中」の本当の意味を僕は理解できてなくて、「いろんなことをやります」みたいな、何でも受けて、何でもやって、何でも大変で、社内は疲弊して、みんな傷だらけでみたいな、そんなのが結構10年ぐらい続いた記憶がありますかね。でも、それは決して無駄ではなくて、それがすごくたぶん幅広いノウハウになってきていて。このアジア新興国周りの、ことマーケティングで言ったら、誰と話しても、この人のほうが自分よりすごいなというのは、申し訳ないですけど、あまり感じる機会がなくて。(笑)こういうことを言っていると嫌われてしまうかもしれないですけど。でも、やっぱりいろんなことを見てきたし、いろんなことをやってきたし。なので、それぐらいの思い込みはありますと。ただ、それはあくまで知識レベルの話で。
じゃあ、いざお客様の支援ってなってきたときに、僕の得意な、またSPYDERの得意なのは、製造業ですよね。サービス業は、申し訳ない、皆さん、僕は分からないですと。もう、製造業ですと。中でもうちの会社はもう8割方B2Cですね、今ね、B2C。B2Cの中でも、ほぼFMCG、食品・飲料・菓子・日用品・文具・化粧品、この辺りがうちの主たるクライアントで。B2Bで、純粋なB2Bも2割ぐらいはあって、でも、その2割のうちの半分は、B2B企業なんだけどもB2Cの商品を持っていて、それを展開するという、そういう感じなので、なんだかんだ、B2Cで9割近いのかもしれないですよね。なおかつ、アジア新興国市場なので、ASEAN、それから中国、インド、東アジアとかね、その辺も含めてですけども、ここがやっぱり主たる主戦場で、特にここ5年ぐらいはタイ、ベトナム、インドネシア、フィリピン、中国、インドみたいなところがやっぱりプロジェクトとしては多いのかなと。
プロジェクトも、われわれがやれるのっていうのは、すごく大きな絵を描くとか、M&Aをやるとか、そういうことではなくて、それはもう、もっと大きなファームに行けばよくて。われわれは、いかにシェアを上げていくか、5%シェアを上げる、10%シェアを上げるための参入戦略を描いて、それを実践するというのがわれわれの主たる業務で。その多くは販売チャネルにやっぱり日系の消費財メーカーの場合、要因があるので、そこを改善していく。販売チャネルを強化していく。それに伴って、プロモーションやプロダクトやプレイスがブラッシュアップされていくという、そういうプロジェクトなので、販売チャネルに絡まないようなことだと、うちでやる必要はないのかなというふうに思っているぐらいなので、すべてのプロジェクトはそこになる。なので、製造業、消費財メーカー、FMCG、販売チャネル、アジア新興国、みたいなところのキーワードになってくるかなというふうに思います。
このSPYDERという会社を設立して、そこに特化してしまおうということで、うちの東忠男と始めたわけですけども、取締役のね。最初の3年というのはね、そうは言っていても毎日飯を食わなきゃいけないので、いろんな案件を受けるんですよね。いろんな案件を受けながら、不得意なものも自分を騙し騙しやっていくわけですけどもね、そこで多少すり傷はありましたけど。でも、そこからね、だいぶ今言っている、FMCG、アジア新興国、販売チャネルみたいなところに特化をしていくと、ノウハウが格段に上がっていくので。また、ずるいと言ったらずるいんですけど、自分たちの得意なことしかやらない。むしろ、不得意なことをやらない。この本当に「選択と集中」ってこういうことなんだなっていうふうに思っていて、もう、ぶっちゃけマーケティング会社とかコンサル会社なんていっぱいあって、われわれよりも人が多くて、歴史も長くて、そんな会社はたくさんあって。「じゃあ、そんな中にわれわれが存在している意義って何?」って言ったら、「アジア新興国のFMCGの販売チャネルに関しては誰よりも強いよね」みたいなものがつくりたかったので、そのポジショニングを取ったというね。そしたら、自然とそのポジショニングではまあまあいい感じになっているんじゃないかなというふうに思っています。
なので、ちょっとだいぶ話がずれてしまいましたけども、ご質問の内容、難しかった案件というのはたくさんありましたよと。それは不得意なことをやるから。いろんな案件が来るわけですよね。いろんな案件が来て、こういう仕事をしていると、最初、26歳で始めてね、昨日会社をつくったときに不得意も得意もないですよ。全部、不得意なんですよ、分からないの。それを「できる」って言ってやるわけですよね。やって、お客さんに育ててもらって、そう、大きくなっていく。一番大きかったのが、三井物産、個別の名前出していいのかな、三井物産との20年ぐらい前の取り引きなんですけど、人を育てる三井、人の三井ってよく言いますけど、あれはすごかったなと思って。当時の担当者がすごかったのかもしれないですけど、当時はこのSPYDERじゃなくて、別の会社で、調査なんて、なんかもう我流でやってきて、調査レポートも我流だし、大してやったこともないのに「できます!這いずり回ってやります!」って言ってコンペに参加して、そしたら採用されてね、中間報告でとんでもないレポートを出してしまって。当時、大阪にいたのかな。それで、三井物産の担当者に大手町の本社に呼び出されて、「なんだ、これは!」ってレポート投げられて。でもね、その人、愛があってね、「おまえらね、ある程度脳みそついてんだから、絶対できるよ、やれば」とかって、「こういう感じでやるんだよ」みたいなお手本をバーンと出してくれて、「あー、もう、この人の期待に応えないと駄目だ」みたいになって、会社が。それで、そのレポートに、つくるのに邁進したみたいな。30手前ぐらいだったのかな、僕。そんなことがあって。そこから三井物産との取り引きが進んでいったみたいなね、そんな時代があって。「人の三井って言うけど、こういうことなんだな」とかってね、ちょっと思って。
当時はね、総合商社とか、外資系のコンサルティングファームとか、日本のシンクタンク、なんちゃら総研みたいなね、そういうところがほとんどのクライアントで、そこの下請けだったんですよね。当時、調査会社なんてなかったので、アジア新興国のことを調べる調査会社なんて。今は結構ね、検索したらいっぱい出てくるかもしれないですけど、消費者調査も、産業調査も。特にわれわれの強みとしていたのは産業調査だったので、そんな会社はなかったんですよね。だから、重宝されていて。でも、そのうち、われわれが現場で調べてきたことを、きれいなレポートとコンサルテーションに変えてものすごい金額を取っているなということに気付いて、それでどんどんエンドの客が増えていったというね、そんな歴史がありますかね。もちろん仁義を切ってね、エンドのお客に切り替えていったんですけど。
そうですね、だいぶ話が逸れましたけど、一応、すみません、そういうことで、難しいのはたくさんありましたという話で今日は終わりたいと思います。皆さん、今日はこれぐらいにしたいと思います。また次回お会いいたしましょう。