東:こんにちは。ナビゲーターの東忠男です。
森辺:こんにちは。森辺一樹です。
東:森辺さん、今日はなんかとてつもないゲストをお呼びしてしまった気がするんですけども。
森辺:山本大先生に今日はお越しいただきまして、これから3回にわたって山本先生と一緒にグローバルマーケティングのお話をしていきたいというふうに思っていますので、リスナーの皆さんぜひ楽しんでください。
東:じゃあ山本先生のご紹介の前に、簡単に山本先生のプロフィールをご紹介したいと思います。山本先生は、山本国際マーケティング研究所代表、1938年大阪市生まれでございます。のちほど聞かれればわかると思いますけど、ばりばりの大阪弁です。で、中国遼寧大学商学院MBAビジネススクール客員教授、首都経済貿易大学工商管理学院MBAビジネススクール客員教授、アジアパシフィック経営・マーケティング研究会、グローバルプロフェッショナルズ創造戦略プロジェクト無料公開スクール校長と名だたるもので、グローバルマーケティングのプロフェッショナルコンサルタントとして、もう既に40年余り活躍中ということで、ぜひ森辺さんから山本先生のご紹介を。
森辺:はい。私どもがグローバルマーケティングなんて語るのはおこがましいぐらいの先生でございます。先生どうぞよろしくお願いします。
山本:いや、こちらこそ、よろしくお願いします。
森辺:今、簡単に先生のご紹介をさせていただいたんですが、ちょっと山本先生といえば化粧品業界とか資生堂というイメージが非常に強いんですが、先生自身で少しプロフィール紹介みたいなことをお話しいただければと思います。
山本:もともとはアメリカと日本の姉妹校である大学で勉強させていただいて、そしてタイミングがうまく合って日本に帰ってきて、ちょうどその頃、今でこそ経済産業省といっているけど、その当時は通産省の、まだ主任か課長だったかな、オークラホテルで偶然出会って、まあ偶然出会ったっていうのは、きっと僕は英語でしゃべっているし、彼がちょっと見かけたんだろうなと思うし、あの当時英語できる人少なかったんでね、ちょっと興味をお持ちになられたと思うんだけど、立ち話でちょっと一回会いたいなあいうことで会って、「何でっか」って言ったら、彼も大阪――堺の人だから、それで、「いや、もう今は君もわかるように、デポからどんどんどんどんミッション迎え入れて、、その辺の通訳っちゅったらあんた怒るかわかれへんけど、通訳兼ビジネスコーディネーターみたいなことをちょっとやれへんか」と。ええなあ思て。
森辺:最初はじゃあ、通訳兼ビジネスコーディネーターみたいなことから始まって?
山本:そうそう。そうです。
森辺:H.I.S.の澤田さんも旅行屋さんになる前は通訳兼ビジネスコーディネーターから始まっているってね。
山本:チラッと聞いています。最近彼ともアジア経営者連合会、「ちょっと顔出しよ」って言われて、そんな話して、「よく見てんなあ」言うて(笑)。
森辺:見ていますねえ。
山本:まあそんなこんなんで、すぐ大阪帰りゃあよかったんだけど、しばらく東京にいて、そんなことしながら、ちょうど万博が大阪でスタートするし、彼がプロデューサーとして戻るんで、大阪帰れへんかいうことで、それで大阪帰って。で、何だかんだしてるときに、これも紹介だと思うんだけれども、「化粧品メーカーの資生堂って知っているか?」、「ああ知ってる知ってる」言うて。「そこからコンパニオンの英会話の、ちょっと指導みたいなん来ているよ」言うて。「ええー」って。あの当時ね、化粧品メーカーってゆうたら、水商売の一端としての認識しかなかったんで、ちょっと抵抗あったんだ。世代とか環境とか。だけどまあ、「全国からべっぴん40人来るぞ」言うて、そのべっぴんにちょっとね、ほだされて。
森辺:(笑)。なんか面白そうですね。
山本:うん。それで、「おおーっ」と思って、「まあ1回、じゃあカリキュラムと、それからスケジュールといろいろ作っときます」言うて、提出、とりあえずしたんだけれども、「即やってくれ」言うて、担当窓口の【いのうえよしふみ】(00:05:41)さんっちゅって、今もう90近い、文京区白山のお寺のお坊さんしていらっしゃる、その当時の宣伝部主任の、資生堂の窓口だった人が、もう翌日、「山本さん、ちょっと」って。東京本社が昨日だったからね、そのときは。いろんな、ああいう万博のときやいうのは。それで、「あなた、やってくれないか」、「えっ?ほかの2社の組織のって、あれ、ちゃんと保証されていいんじゃないですか?」、「だけどカリキュラムの構築とか、それからレッスンの持っていく運び方、非常にプラグマティック(実践的)だし、非常に合理的な内容だから」。で、「【いのうえ】(00:06:31)さん、でも僕高いやんか。一番高いでしょ」、「もうそうなん、よろしよろし」、「ええー?」。で、「じゃあそっちがよけりゃあ、やりまっせ」言うて、ほれで僕一人でやりきれないから、ハーバードにいる夫婦、若い学生に「飛行機代出したるから来い」言うて、飛行機代出してもお釣りあるぐらい金くれたからねえ。そこへ持ってきて、もう40人のべっぴん、20日間集中レッスンです。ええ思いしたよ。
森辺:へえ。それはその、コンパニオンさんに英語教育をして、
山本:英会話やん。
森辺:で、資生堂は何を、そのコンパニオン使って、
山本:展示、万博のブースの配置する人たちや。コンパニオンみたいな感じ。
森辺:なるほどなるほど。じゃあ万博用に、のコンパニオンってわけですね。
山本:そうそう。だからそれ用のカリキュラム構築をしたわけで、単なる英会話じゃないわけ。“How are you,today?”だけじゃ意味ないじゃない。せっかく海外から来る外国の人たちだから、スマイルも必要だろうし、やっぱり最初の言葉で“How are you?”だけじゃなくて“Hello”も必要だろうし、あるいはもっとほかのボキャブラリー、“Oh,wonderful!も必要だし、“Welcome to Japan”“Welcome to Osaka”もやっぱり必要じゃない。そんなこと、もうまさに実利的な英会話を彼女らに40人にやったわけ。だから聞く人もあの当時は100%高卒なんだよ、女性は。で、今でこそ言えないよ、採用のとき容姿端麗なんて。あれは第一条件。あほでもええねん。容姿端麗だったら採用の時代やからさ。だから彼女らの能力を考えてどうのこうのなんて教えられない。だからもう、頭から足の全身使って、言葉っていうものの学習のノウハウをそこで実践したんや。そうするといろんな窓口の人がびっくりして、「こんな教室、こんなレッスン、こんな先生、こんなやり方あんのかなあ」ちゅうて。まさにアメリカの手法やんか。プラグマティズムや。実践的なノウハウ教えてやったから、それはもうすごい感動してくれて。
森辺:へえ。じゃあ資生堂は当時万博で、インバウンドした観光客、万博の来場者に向けて資生堂を発信していくっていう、そういう目的のためのコンパニオンだったの?
山本:そのときそれも、それが主眼だけれども、それを組み込んだ上で、日本あるいは日本の文化、日本の歴史、日本人、日本語、等々を含んだ形でのコミュニケーションしろっていうことをかなり強調させた。そのためにはボキャブラリー、言葉。難しい言葉もあるだろうけども、ちゃんと覚えろ。そしてきれいな発音は基本だと。そうでないと通じないと。「何しゃべってんねん」言われるぞと。だからもう、必ず鏡の前で自分の口元と目ん玉凝視しながら、大きい音出して自分の耳に入れろと。それの繰り返し応用をやれえ!」言うて。そしたらもう、ちゃんとできるようになんでえ。
森辺:怖そうな授業…。
東:そうですねえ。
山本:(笑)
森辺:先生、『進化する資生堂』っていう本出してますけど、資生堂とはそのきっかけで今に至ってるっていう、そういうことなんですね。
山本:そうです。で、そのときに【いのうえよしふみ】(00:10:05)さんっていう方が主任の窓口で、その上司が部長で、同姓の山本吉兵衛っていう課長さんが、ちょうど和歌山田辺出身のおっちゃんが宣伝部の部長だった。その部下が【いのうえ】さんだった。で、その部長が、「山本くん、そもそも何が専門やねん」言うから、「マーケティング」「え?何?今何言うてん?」その当時、マーケティングという言葉は新しい語彙や。アメリカでもまだ扱われて15年、20年っていう歴史。1945年、戦後、20年、30年経っても、マーケティングという意味合いは、学者先生、大学、等々で起用するレベルだった。一般市場環境の中で、企業が、メーカーが、販売会社がそういう言葉っていうのはもう、実に新しいし、珍しい。それでわしゃあ、社員に勉強さしてくれと。「おお、そらいいで。僕は好きだからやりましょ」言うて、そっから。
森辺:へえ、面白いですね。だから、アメリカからマーケティングを日本に持ち込んだ人の一人っていう、そういう…。
山本:そう、実践的な持ち込みは、僕したっていう自信がある。
森辺:そうですよね。実践的な持ち込みですよね。いわゆる教育という観点ではなくて、実践での持ち込みの第一人者っていうことですよね。
山本:それで、「で、あと何できんねん?」言うから、マーケティングという範疇の中での4Pの活動で、一つ一つできること、「一番僕の十八番はプロモーションや、販促や」「じゃ、わしゃあもう全くそんなものは欠けてるし、知らないし、これからだから、その部分で何かいろいろやれよ」「ええー?よろしでっか。まず化粧品勉強させてください」。で、そのとき、さっき言った販売会社120。で、大阪と東京が主なんだよね。大きい。あとはスケールが小さい。大阪を中心にしていろんな販促活動、それから小売店さんのセミナー、やらせてもらったなあ。
森辺:そうすると、四十何年とかですか、おつき合いが。資生堂との。
山本:45年や。今年46年や。
森辺:45年。すごいですね。
山本:一匹狼と組織で45年続くの僕だけ。ないで、ほかに。
森辺:いや、本当そうですよね。
山本:だからよっぽどずうずうしい男やで(笑)。
森辺:いやいや(笑)。ちなみに今、先生、またあとでご紹介しますけど、資生堂さんのビルでいろんなセミナーをやっていて、その45年の資生堂さんとの歴史があるから、先生、今年度75歳になりますが、肌にしわがないというか、こんな75歳いるのかって、後ほど弊社スパイダーのホームページでも先生の写真公開しますけども、非常につやつやしたお肌で。
山本:いやいや、ありがとう。
森辺:それはやっぱり資生堂の化粧品…。
山本:やっぱり基本的には資生堂の「ブラバス」っていう商品のおかげだと僕は確信してる。
森辺:なるほどなるほど。本当にきれいな肌をね。
山本:毎日、365日、どこの地に行っても使っている。朝晩、朝昼晩、シャワーを終えたら必ず、僕は一日2回ぐらいは必ずシャワーをするからね。だからその都度使っている。
森辺:75歳なんですけど、髪の方もしっかり生えてましてですね、山本先生、
山本:そうです。いや、でもこれは薄うなってきた(笑)。
森辺:白髪で、ロン毛で、パーマかかってるんですけど(笑)。それも資生堂のシャンプーか何かをこう。
山本:そうです。
森辺:TSUBAKI(ツバキ)か何かを使っているんですかね。
山本:使っています。
森辺:なんかいい匂いがね、してくる…。
東:そうですね。
山本:頭の先から足の先まで僕は資生堂商品です。部分的にはプレゼントもあるけれども、総体的には自分で購買して。
森辺:45年を一つの企業とずっと取引をしていくってのは、本当、すごいことですね。
山本:いや、僕はやっぱり資生堂さんのおかげです。資生堂さんがそれだけの受け皿と、奥深いスペースを持ってもらえていると思いますよ。だからもう僕、でもそう言いながら、でも、何回か出入り差し止めなりましたよ。でも出入り差し止めになって、相談するときに、「誰がそんなこと言ったの?」って言うから、そのときはまだ若かったから、「誰それさん、誰それさん」言うたら、その2人、異動させられたり、1人はくびにしたりしてね。それからはもう、絶対名前言っちゃいかんなあ思うて、悪いことしたなあって、今でも後悔している。
森辺:そうなんですね。
山本:うん。そんなこと言われたからちゅうて誰それ言うなあって、自分でも言い聞かせてる。
森辺:なるほど。じゃあ先生、その資生堂さんの出会いのお話をちょっとさせていただきましたが、先生のお仕事なんですけどね、このマーケティングコンサルタントっていう先生のお仕事なんですけど、今のいろんな活動含めて簡単にご説明させていただいてもいいですかね。
山本:メインはね、やっぱりセミナーですね。毎月、小売店様をお集めした「セールスとは」セミナーというのが行われていたんですよ。今も一部やっておられるけど、そのセミナーを僕に担当させて、全国行脚させていただいたってのが大きいベースですね。で、それをすることによって、僕も小売店機能の面白さ、あるいは特徴、あるいは市場の中での動きの活発さ等々に対して魅力感じて、そこへお客様をお連れするときのメカニック、販促品を付加すればもっと来やすくするだろうということで、販売促進用の商品まで、その当時の言葉では「おまけ」やな。これ買うたらこれあげまっせ、いうやつ。そのおまけ商品の開発した。すごいもうけさせてくれた。失敗してもお金くれた。その当時はやっぱりいい時代だね。僕のやる商品がみんなヒットするんだよ。だから120の販売会社から注文来んや。だからもう、日本側で生産追いつかないし、コストが高くなるから台湾でもつくらせたりね。それはそれは、もういろんなものやらせてもらった。だからその、僕はでもいい経験させてくれたなと思うのは、やっぱりセミナーかな。そこでいろんな、講義するというノウハウも、人前でおしゃべりするという自分なりの個性の出し方も、聞く聴衆者への取り込みのノウハウも、本で勉強したっていうよりも実践で学習したね。それが僕の今現在の持ち味やないかなあと思うんです。決してテキストで「いろは」を学んで、あるいはそれ専門のどうのこうのっていうのはない。ただ、アメリカの大学でスピーチの勉強は結構熱心にした。これも大きかったかなと思うね。お話の起承転結のつくり方とか、イントロダクションからクロージングの、3分なら3分、5分なら5分、10分なら10分、この辺の仕組みはアメリカで教わった。それがうまくセミナーで起用できたのは、やっぱり資生堂さんにとってもすごい、新しい取り組みのセミナーだとして喜んでくれた。そして資生堂さんは、新しい商品を出したら必ず僕を呼んでくれる。
森辺:マーケティングのセミナーを通じて、マーケティングを学んでいくっていう、そういうことをずっと45年間やってきたっていうことですね。
山本:そう。日本の新商品に対しての売り方は、まず、かくかくしかじかのプレゼンテーションの【衆目】(00:18:29)をおいて対応しなさいっていうことを、マニュアルまでつくって、やった。だからそれをまねして、いまだ本社では作っている、新商品のマニュアル。僕なんかその自分でつくったやつ宝みたいにして置いた。それも稼がせてくれた。そんなん初めてちゃうか?商品マニュアルなんて。今でこそみんないろんな会社…。あの当時なら「へえ」っちゅってるよね。それともっと面白いエピソードは、栄養クリーム、3万円の商品売りだしたときに、僕は20人ぐらいの奥様方を前にして、プレゼンテーションのモデルを見せた。18人買ってくれた。
森辺:へえ(笑)。
東:20分の18ですか。すご…。
山本:そうです。これはやっぱりね、本当にこの商品お客様に買ってほしいという欲望がわいたら、その商品の特性、商品の成分、その商品の知識、100%近い状態で自分のものにするっていう姿勢なかったらあかんな。
森辺:まあ、日本でも海外でもそれは一緒ですよね。
山本:一緒やで。で、中途半端な覚えの間は、絶対説得につながらない。モチベーション起こらん。人好きになるときでもせやろ?中途半端な好きだったらなんか怖いねん。だから、こいつは、この人、この女の子、と思ったらそらもう一生懸命、頭の先から足の先までの全てを含んだトークしてごらん。ぐっとくるよ、どんな人でも。これは人間と人間の関係でも一緒だしね、この商品を媒介にした手段とのコミュニケーションとか一緒や。これ変わらないよ。この本質を本当にわかりやすくひもといてるのはね、『グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ』って、一昨年(2011年)出た本。40年前の、もう情報化まだ入り口の頃に、グレイトフル・デッドっていうジャズボーカルグループ、実践してるよ。彼らプレイガイドで切符売ってへんねん。ファン経由で切符売ってんねん。でそれをまた応用してんのが、トニー・シェイっていう台湾系のアメリカ人が通販で、靴の通販で成功してる。
森辺:「ザッポス」ですね。
山本:ザッポス。全く本質一緒。僕はそれを45年ぐらい前からしゃべってんねんからね。だから情報化とはいえ、やっぱり究極人からじゃないとね、満足とか価値とかね、あるいは認める材料、やっぱり人からやねん。文章とか絵からとかね、そんなんはもう、8割、7割レベルだと僕は見るな。究極やっぱり生きた人間のふれ合いや。そっからの納得のレベルが高いし、少々高くったって買ってくれる。僕でもセミナー高かったもん。公開セミナーでも必ず「高いなあ、おまえとこ」って言われたもん、日経さんから。「なんでそんな高いの取れんねん」「僕は自分の価値認めてるから、やってまんねん」言うて。びっくりするだけやから。「うち、そんなん取れへんなあ」言うて「そら取れへん、自信がないからやん。俺は取るよ」言うて。ちゃんと来てくれよるからね。俺もようやったで。で、そういうときに来る上場企業の人たちがまた引っ張ってくれる。
森辺:なるほどなるほど。いやあ、すごいですね。
山本:だから自分で銭もうけしながら宣伝にもなっている。だから自慢やないけど、上場企業でもトップ層やで。今でも40社ぐらいあるで。
森辺:資生堂の社長さんも、君付けで呼ばれていますが。
山本:いやいや(笑)。僕、言うたら“How are you,Mr.Yamamoto”て。社員皆びっくりしてるやん。「なんで社長、山本先生来たらそんなん言うてまんねん」「いやあ、英会話の先生やん」
森辺:(笑)もともと英会話の先生だったんですよね。先生と生徒だったんですね。
山本:そうそうそう。あの頃はね。企業内英会話やらせてもらっていたからね。
森辺:すごいですね。じゃあちょっと、第1回目なんですけど、この強烈な山本先生のキャラクター、リスナーの皆様も十分感じていただけたんじゃないかと思いますが、もう今回はちょっとお時間が迫ってまいりましたので、また次回以降、資生堂の中国、アジア戦略であったり、日本企業とグローバルマーケティングに関して、引き続き山本先生にお話を聞いていければと思います。どうもありがとうございました。
東:ありがとうございました。
山本:ありがとうございました。