阪西:皆さんこんにちは、ナビゲーターの阪西です。
森辺一樹(以下、森辺):皆さんこんにちは、スパイダーの森辺です。
阪西:今日は久しぶりに弊社の東が海外出張により出演できないので、私が代わりにナビゲーターを務めさせていただきます。皆さん、よろしくお願いします。
森辺:よろしくお願いします。リスナーの皆さん、実は東がですね、彼はだいぶ忙しくて毎週ぐらいに海外出張があるんですけど。
阪西:忙しいですね。
森辺:丁度今は、どこ行ってるんだっけ?
阪西:アメリカかメキシコ…
森辺:ニューヨークだよね。ニューヨーク行って、その後メキシコ行ってて来週まで帰って来ないので、ナビゲーターを久々に阪西が務めさせていただくわけでございますが。阪西さん、今日は何の話をしましょう。
阪西:今日は、連載で持っているフジサンケイビジネスアイ「新興国に翔ける」っていう連載タイトルですが、その中でも昨日『「国籍」と坂本龍馬』っていうタイトルで連載アップされたんですが、その連載の反響がとても良くて。Web上では文字も限られてるので、その内容についてもうちょっと深く教えていただきたいんですけれども。
森辺:なるほど、いいね。
阪西:よろしくお願いします。
森辺:ライトな感じでね。いつも東とだと、チャネルがうんにゃらとかマーケティングがうんにゃらとかっていう話になるんで、今日は少しナビゲーターが阪西ということで、雰囲気を変えたお話しをしていきたいなという風に思いますが。
私がかれこれ8年9年ぐらい書いてる、フジサンケイビジネスアイ紙の毎週火曜日の朝刊の連載で、Webのサンケイビズでも同様に掲載がされるんですけど。『「国籍」と坂本龍馬』というのを昨日かな、掲載になってると。どういう話かと言うと、一体国籍って何なんだろうっていう風なことをですね、考える機会があって。日本国籍というのは、世界に出ると日本のパスポートの力って物凄く大きくて、どの国でもほとんどビザ要らずに入国できて、通関の時に当然パスポートによっては時間が掛かる、通関の時間が掛かる国ってのはたくさんあるんだけど、日本のパスポートってのは本当に顔パス的な、本当30秒も掛かんないぐらいのスピードでポンポンポンと通関できてしまう、大変優れた国籍であると。ただ、一体それぐらいのことしか国籍について考えなかったんだけど、国籍って何なんだろうと。
当然安っぽいナショナリズムなことを言うつもりもないし、僕は日本人であるということは一つのアイデンティティとしか思ってはいなかったので、特にそんなに国籍にこだわっているタイプでもなかったんですよね。当然心の奥底には「日本人として」みたいなね、そんな思いは特に強くて。幼少期アメリカンスクールで過ごすと、自分が何人かっていうことは嫌でも思い知らされるというか、周りがアメリカ人なので僕は違うと。アメリカの国歌斉唱みたいなのが流れて、皆胸に手を当てるっていうケースが学生生活の中であるんだけど、僕はアメリカ人じゃないから胸に手を当ててアメリカの国歌を一緒に歌うとかっていうことに対して、若干違和感があって。ただ当然皆やるから僕もやらないで一人で突っ立ってるわけにはいかないので、やったけども。けど、君が代を聞いた時の心の昂ぶり…そういうものは、僕はアメリカの国歌を聞いた時には一切得られない。ただただ違和感があったというぐらいで。アメリカンスクールに行ってたからこそ、日本人であるということを嫌でも思い知らされたし、誰もそんなことは思ってないのかもしれないけど、いつしか勝手に「自分は日本代表だ」と。例えば中学校・高校の時にアメリカ人とケンカをして、「ここで負けたら日本人が弱いということになってしまう」みたいなことを思ったりとかね。だいぶ日本人としての振る舞いに気をつけた記憶があると。僕にとってはこれぐらいのことしか国籍については特になくて。なくてというか、どっちかって言うと「絶対日本人!」ともそんなに思ってないけど、一方で嫌でも日本人っていうことを思い知らされる環境で育ったので、日本国籍をすごく大切にしている。でもそれはナショナリズムではなくて、アイデンティティとして大切にしているという。そういうタイプなんですよね。
ただ最近僕の友人が、国籍を変えたと。一人は日本人なんですけどね、40代の日本人で、両親は純粋な日本人であると。彼はもう小学校からアメリカで育って、中学・高校とアメリカで育ったと。大学で親は帰国したんだけど、彼は大学は一人でアメリカに残ったんだよね。アメリカの大学も無事卒業して、じゃあいよいよ日本に帰ってきて日本の企業に就職かと思ったら、彼は帰国せずそのままアメリカの企業に就職をしたと。で、今に至ると。この40才になって、アメリカ人に国籍を変えたと。通常はそういう日本人っていうのは、アメリカでグリーンカードが発行されて、日本国籍でありながら、グリーンカードを持ったアメリカで就労するというのが普通のスタイルなんですよね。国籍を変える必要は当然無いんだけど、彼はいとも簡単に変えてしまったと。僕にとって国籍を変えるってことは「え?」っていう話だったので、ナショナリズム、愛国ニッポン!みたいな風に思ってないけど、アイデンティティはあるわけだから、国籍を変えるっていうのはね、ちょっと「ん?」と思ったんだけど、彼はあっさりそれをやってしまって、「何で変えたの?」って言ったら「自分の生活の基盤がアメリカにあるし、アメリカの国籍にした方が自然だから」って。当然そのナショナリズムでもアイデンティティでもないわけだよね。あ、ごめんなさい。彼も変なナショナリズム持ってないし、アイデンティティとして日本国籍であると。彼がね、こんなこと言ってね。「いや、国籍を変えたからって、僕のアイデンティティは変わらないでしょ」って言うんだよね。それに衝撃を受けちゃって。確かにそうなんだよね。僕はずっと日本国籍であるっていうことを変なナショナリズムではないけど、アイデンティティだと思っていたと。なんだけど、彼に言わせてみたら、別に国籍が何であろうと、僕のアイデンティティは変わらないっていう。確かにその通りで、深いなと。
それにすごく衝撃を受けて、ちょっと思い出したのが、そういう友達が何人かいたんですよ。2、3人いたんですよ、同じようなタイミングでね、今年ね。その時に僕思ったんだけど、坂本龍馬がね、土佐の藩主であった時に脱藩したじゃないですか。当時土佐を脱藩するなんてのは重罪で、それを犯してまで脱藩の道を選んだ。彼は「我々は日本人なんだ」と。日本人の方が、土佐藩主よりも重要だったわけだよね。その狭い世界じゃなくて、広い世界にっていうことで脱藩をして、彼の行動が後の明治維新に多大な影響を与えて、今の日本の基礎を築いてきたわけなんだけども。それにすごく似てるなーと思っていて、例えば100年後とか200年後にね、国境って今よりももっともっと意味のないものになってると僕は思う。今何人何人っていうことを意識してるけど、多分100年後200年後にはそれは出身地みたいになるわけだよね。例えば阪西さんはどこ出身?
阪西:愛媛県です。
森辺:だよね、愛媛出身。だから日本出身、アメリカ出身と一緒のように、愛媛出身っていうだけの話で、そういうような世界が来ると思ってて。世界人とか地球人みたいな話でね。ただそれが日本出身の地球人なのか、アメリカ出身の地球人なのか。ただ単にそれだけのことで、僕の友人のとったこの国籍を変えたっていう行為はね、彼は決して自分のアイデンティティを軽視してるわけではなくて、むしろこの坂本龍馬がやった脱藩っていうことと同じ。当時脱藩は重罪で、今国籍変えることは重罪ではないけど、違和感があるじゃない。でもそれは僕は違和感を持つっていうことは凡人であって、この僕の友達は坂本龍馬のような先見の明があるやつなんじゃないかなっていうことをすごく感じて。僕も国籍って一体何なんだろうっていう答えはまだ全然出ないんだけど、ただ僕はこの友人の考え、「いやそれが自然だ」と、「国籍を変えたところで、僕のアイデンティティは変わらない」と。「僕は日本で生まれてアメリカで育ってアメリカで今働いていて、そのアメリカ国籍を持つことが自然である」と。だから国籍を変えたんだと。アイデンティティは変えていないと。変わったつもりもないという彼と坂本龍馬が、僕はすごく被ってね。こういう人達が、きっと真のグローバル人なんだろうなという風に感じたということを新聞の連載で書いたんですよ。なので一度リスナーの皆さんも機会があったら是非読んでいただければと思います。
こんな感じで大丈夫ですか?
阪西:はい、ありがとうございます。
森辺:はい、皆さんありがとうございました。