東:こんにちは、ナビゲーターの東忠男です。
森辺:こんにちは、森辺一樹です。
東:森辺さん、今日は素敵なゲストをお迎えしているのですけど、森辺さんの方から。
森辺:恐らくプロフィールのご説明が必要ないと思うので、本日のゲストは一橋大学の米倉教授をお招きしております。米倉先生、どうぞよろしくお願いします。
米倉:よろしくお願いします。
森辺:米倉先生、では第1回目ということで、今日は米倉先生のプロフィールを割愛させていただきましたけれども、いろいろな活動・研究以外にもバンド活動とか、いろいろなことをやっていて、イッシュという雑誌を街で実際に。
米倉:『ビッグイシュー』を(※)。
※ビッグイシュー日本版|ビッグイシュー日本とは
http://bigissue.jp/about/
森辺:『ビッグイシュー』を配り歩いているのを私はお見かけしたこともあって。先生の自己紹介みたいなところからお話をお聞かせいただければなと思うのですけど。『ビッグイシュー』というのはどんな取り組みをされているのですか?
米倉:『ビッグイシュー』というのはイギリスで始まった雑誌なのですけど。ホームレスが雑誌を売って、その内の7割ぐらいがホームレスの収入になって、3割が出版社の収入になるという。そういう仕組みでホームレスが自立することを助けようという運動でスタートしたのです。それを佐野(章二)さんという方が、これは素晴らしいということで日本に持ってきて、翻訳をして日本独自の記事を入れて、日本中のホームレスの人たちで自立をしたいという人たちが、よく駅で売っていますよね。あれは、今300円になったのですけど、180円がホームレスの方に入って、120円が雑誌に入ると。そんな仕組みになっております。僕はこの運動をすごく良いなと思ったのです。僕があとで話しますけど、日本元気塾とか、NPOのリーダーシップを日本フィランソロピー協会とアメリカンエクスプレスの支援を受けて、毎年リーダーシップ研修に行っているのですけど、そういう中で実践しようと。ホームレスの立場に立ってあの雑誌を売ってみるというのをみんなでやることによって、いかに大変なことなのだよと。一度日本の、特に日本は一度道から外れてしまうとなかなか戻るのも大変ですし、立ってみれば分かりますよ。僕なんか30m前ぐらいから避けて通られますから。不法労働外国人、労働者みたいな感じで。ただ、それを売ることによってそういう立場、それからそういう運動、そういうことを自分たちで体験するというプログラムなのです。いつもそれを僕も実践して売り上げの更新を目指している。
森辺:私1回先生が駅で立って、『ビッグイシュー』の雑誌を持っているのを見て、『ビッグイシュー』という雑誌のことはよく知っていたのですけど。違うだろうな、似ているけど違うだろうなと思っていて、先生は顔の彫りが深いではないですか。だから今言ったように、確かにブラジルの方から来た労働者の方かなと思って、まさかと思ったのですけど。後に何かのメディアのあれで先生がそういう活動をされているというのを知って、あの時見たのは米倉先生なのだなと思ったのです。素晴らしい活動ですね。180円ぐらいはホームレスの方の自立のために収入として入って、それを元でに生計をたてていくと。
米倉:そうです。ホームレスになってしまった人たちが復帰する糧というのは、そういうふうに定的に収入がありますよと。その収入をベースに住所を持てますよと。住所が持てると就職活動が出来るのです。これがなかなか難しいので、路上で『ビッグイシュー』を売って、そこからスタートすると。でもちゃんと卒業した方もおられるのですよ。
森辺:雑誌を売ることから住所を持って、就職をして。
米倉:あるいは住所を持ってすごく売れる方は、そのまま『ビッグイシュー』を売って生計を立てると。
森辺:素晴らしい活動ですね。今もそれをずっと続けられているのですか。
米倉:一応年に2回はそういう研修プログラムがあって、塾生とかNPOのリーダーたちと一緒に街頭にたつということをやっています。
森辺:今お話に出てきた、日本元気塾というのは先生やっているやつなのですけど、これのご紹介をしていただいてもよろしいですか?
米倉:これもなかなか話せば長いのですけど、森ビルの創業者は、森泰吉郎さん。こないだお亡くなりになったのが森稔さんで2代目なのですけど。創業者の森泰吉郎さんは実は一橋大学の出身で、52歳まで横浜市立大学の教授だったのです。僕と同じ経営史、ビジネスヒストリーというのを教えられていて、いろいろあって52歳のときに自分で起業すると言ってこの事業を始めた。そのときは、新橋駅前に3階建てか4階建ての小さなビルを1個だけを持っていたのです。それが、30年間でマークヒルズの森ビル、六本木ヒルズ。そこまで来たから、やはりすごいアントルプルナーですよね。そのお父さんの意思の中に、やはり自分で学校を作りたいというので、アーク都市塾という都市とかデザインとか、都市経済学、そしてITとか、都市インフラとか。そういう学校をやっていて、僕はその三代目の塾長に、一橋が縁でなったのです。2000年前後ぐらいに。ですけども、そういうビジネススクールも今日本で非常に盛んになってきましたし、中途半端なビジネススクールみたいなのをやっていたら、近辺にある大学や夜学でも開かれるようになりましたし、グロービスもありますし、これは、あまり展望はないなと思って。僕、塾というのをやりたいなと思って、本当の塾。これはどういうのかというと、先生と生徒が基本的には暗黙知というのですけど、僕の先生の1人である野中郁次郎さんがよく言っている、言葉にできない知識の方が大事なのです。人間の知識は、8割方は言葉でできない知識で、残りの2割ぐらいが言葉にできるという知識。暗黙知というのはやはり一緒にずっと過ごすとか、同じ課題を検討するとかそういうことがないと出来ないので、教科書を使ってNBAを取りますとか、何かの資格をとりますというのが別に僕たちではなくても出来るだろうと。そういう学校もたくさんありますし。われわれしか出来ないものは何だろうかというと、優れた人を集めて、そこに1年間ぐらい一緒に共有する、何かを成し遂げる。そんなことをやってみたらば面白いなと思ったのです。失われた20年の中で、日本が、本当に元気が亡くなっていく。国に元気がない、社会に元気がない、会社に元気がないとよく言われるのですが、やはり1人1人元気がなくて。国とか社会とか会社が元気になるわけがないので、1人1人が元気になると。元気の源になっていくような塾を作りたいと。日本元気塾をやるぞと言ったら、もう総スカンですよね。そんな新興宗教みたいなところに一体誰が来るのだと。ベタな名前はやめてくれと。僕の後輩の准教授なんか、「先生、私は日本元気塾に行っています」なんて人前で恥ずかしくて言えるわけがないじゃないですか。
森辺:もうちょっと難しい名前の方が何となく俺は行っているのだぜという。
米倉:日本総括研究所とかね。
森辺:米倉誠一郎塾とか、何かそういう。
米倉:リーダーシップ何とか塾とかね。言われたのですが、僕はそれをやりたいと。藤巻(幸大)――今や参議院議員になりましたけどね。福助の社長をやっているころから親しい藤巻くん。Francfranc(フランフラン)もやっている高島(郁夫)さんと話す機会があって、高島さんも何か、人に申し上げていけないかなと話をしていて。このとりあえず3人で始めようかと。初めてやったら、また世界が誇るフェラーリのデザインディレクターだった奥山(清行)さんとも知り合って、奥山さんやろうよと。そしたらみんな良いよと言って、われわれの塾は一番重要なのが卒塾証書はないと。それは卒塾生それぞれが卒塾証書だから、そんな紙を出す必要はないと。君たちが街を歩いていて、あの人だれ、こんなすごいことやっているのは誰とか、こんな面白いことやっているのは誰と言ってみんなが共通していたら、日本元気塾というところを出ているのだというふうになればよいなと。ですから、そういう意味で卒業証書を出さない。カリキュラムもない。教科書ももちろんない。それから、よく学校はインプットが大事だと言うのです。座学をしていて問題も学ぶから。僕たちはアウトプット重視型なのです。アウトプットがなぜ大事かというと、僕も教官になったときに一番勉強するのは授業をすると決まったときなのです。要するに、大学生に1時間半の講義を年間20本、30本打つと。これ結構大変なのです。はじめのうちに準備をしても、30分くらいで終わっちゃって60分どうしようかなとか、そんなこんなものを20回続けていけるのかなと思うときに、本当に勉強をするのです。そうか。アウトプットをするためにはインプットをしなければならないから、アウトプットを重視する教育が一番インプットをするのに違いないという逆転の発想で、みんなが座って誰々の話を聞くであるとか、こういう課題を設定して、こういう発表をしようとか、こういうことをやろうと決めると、自ずとそれに必要な知識を持ってこないと出来ないということで、非常にアウトプットを重視すると。それからネットとかいろいろな手段があるので、「いつでも誰でも」ではなくて、「今だけここだけ」という時間共有とか、後ろ姿を見ると。古い言い方で言うと、同じ釜の飯を食うとか。そういうことも重視している学校なのです。でも、雪国まいたけとバングラデシュにあるグラミン銀行が提携したグラミンまいたけ。これは東京ドーム10個分ぐらいの大園内のものをバングラデシュで作り、その隣に巨大な種をまけるソルティン工場を作った。8000人くらいの雇用を送出したというのも出ましたし、10月27日から、アリーナで子供のためのジャズコンサートというのを、子供に本物の感動を聞かせるというNTOも立ち上がりましたし、3月20日はネパール国王が提唱して、国連が採択したハッピーデイ。ハッピーになることを感謝しようという日なのです。誰も知らないですよね。20日がハッピーデイ。そういうのを1人の塾生がハッピーデイを日本で必ず広めよう、日本がハッピーであるということをもっと自覚しようと考えまして、今年の3月20日に1万5000人ぐらい、日比谷公園に集めまして、すごいイベントが出ましたし、面白い、もう1人、野武士ジャパン。これがまさに今政策投資銀行で、ヤングダドスのメンバーにも選ばれた蛭間くんという子が、スイス銀行で防災リスクマネージメントの傍ら、僕の塾に来て『ビッグイシュー』に彼は載ったのですよ。そうしたら、彼は初めての東大卒のJリーガーになるのではないかと言われたぐらいのサッカープレイヤー。それが、野武士ジャパンというホームレスのワールドカップというのがあるのですけど、毎年世界中で開かれる。
森辺:世界中で?
米倉:世界中で。ホームレス。それの日本代表監督に。
森辺:すごいですね。
米倉:面白いですよ。ただ弱い、日本は。なぜかというと、日本のホームレスはやっぱり高齢者が多いのです。ところがイタリアとかブラジルとか、ホームレスが若い人が多いから。
森辺:がたいも良いですしね。
米倉:強いのです。でも、いろいろな卒塾生たちが面白いことをどんどんしていて、きっと元気がどんどん湧いてくるという状況に。もちろんビジネスの方もやっています。そういう塾を今度は、来年また4月ぐらいです。第4期をスタートするのですけど、面白いです。僕はちょっと世間の人は誰も知らないし、評価が高くないと思うのですが、でもやはりカリスマバイヤーの藤巻幸大さん、彼らどんな風に日本の商品を見るか、それをどういうふうに世界に発信したいか、フランフランで一部上場まで行って、でも日本にいたらダメだと。本社を香港に移して一部上場を廃止してはじめてもう1回上場するぞという話なのですけど、ビジネスセンス。後ろからみる。日本人初のフェラーリデザインディレクターで今は東北新幹線の奥山レッドですか。そういう世界的なデザイナーは何を考えて、どういうことをしているのかという、一緒に過ごして講義を受けるという。こんなすごいことはないと思うのです。だから、もっと知ってほしいのですけどあまり知られたくないという微妙なところです。
森辺:これはあれですか。限定なのですか。誰でも参加、入会できるのですか。
米倉:もちろん、こちら側が選ぶのです。多いと25だか30以上になるとそれが出来ない。試験を選抜するというか、書類選考ですか。
森辺:確かにFrancfrancの高島さんも、以前一緒にお仕事させていただいたことがあるのですけど、元気と言ったらものすごく元気で。トライアスロンもやるは、意外にB級グルメ大好きだわで、ものすごく元気で。オシャレで、サーフィンもやっていて、ファッションがものすごくおしゃれで。先生も今ジーンズにポロシャツなのだけど全部前ボタンみたいな。オシャレなシャツを着てスニーカーですけど、何か確かに似ていると言ったら似ていますよね。同じ匂いというか。
米倉:そうですか?僕がアイアンマンではないですか。でもやはり、同時代に生きたそういう起業家とかデザイナーとか、そういう人たちと同じ息吹を。たった本当に30人ぐらい、1クラス。行っても100人ぐらいなのですけど、でも松下村塾――明治維新の基礎を作った吉田松陰の塾なのですけど、ああいったものは11ヶ月くらいなのです、全ての授業。そこに来て勉強をしたといっても、本当に数十人という一固まり。ここからが明治維新のある種原動力になっていったので、こういう小さな塾は、決してパワーがないわけではないと。一昨年(2011年)書いた『創発的破壊』の創発という意味にもつながってくるというのが、今の現状です。この元気塾の。
森辺:ありがとうございます。先生、今回はお時間が参りましたので、また次回いろいろなお話をお聞かせいただければなと思います。どうもありがとうございました。
米倉:ありがとうございました。