東:こんにちは、ナビゲーターの東忠男です。
森辺:こんにちは、森辺一樹です。
東:では森辺さん、引き続き平野さんをお迎えしていますが。
森辺:ヤクルトの元専務の平野さんをお招きし、引き続き平野さんどうぞよろしくお願いいたします。前回までフィリピンの再建の話し、いろいろな仕組化のお話をお話いただいたのですが、5年でフィリピン再建されてめどが経たれてその後海外事業の再建屋としていろいろな国を見られたのですか?フィリピンのあとは?
平野:シンガポールだとか、メキシコだとか。
森辺:その国々に同じような問題があったのか、それとも国独特の問題があったのですか?
平野:それは全然国が違えば習慣や文化も違う、その都度その都度考えざるを得ないということになります。
森辺:秘訣というのは何なのですか?フィリピンでは、とにかくフィリピンを心から好きになってそこからいろいろ仕組みを作っていったということをおっしゃられていたではないですか。他の国もいろいろな国によって問題は違えど、どうやってその問題を見つけ出して解決策を出していかれたのですか?
平野:コラムに書いてあるように、私はど素人で既成概念だとか、それから通常のマーケティング理論とかは何も勉強していないから出来ることだと思うのです。要するに、物の見方の多様性というのか、現実の捉え方の多様性というのか、要は自分で固定した物の見方というのがないわけです。フリーター時代から固定してこれがというものがなかったからだと自分では思っていますけど。
森辺:今も大手のお客さんのご支援なんかをしていると、日本ではこうだからこの国でもこうやろう。これがわれわれのやり方ということをすごく言われるのです。でもそのやり方をやると確実にこけるというのが分かっているので、当然そうではダメなのですよという話しをするのですけど、どうしても日本で成功した成功体験を海外にそのまま持ち込んで、それを若干アレンジすればなんとかなるのではなかろうかという。
平野:少しアレンジの段階で考えてしまうのです。
森辺:アレンジではなくてゼロベースで考えろという話しなのですよね。
平野:そう。結局視点と視野の問題。視点と視野の問題。どうしても成功体験というのは固定化してしまうわけです。だから、固定概念的な経営のあり方というのはどこかで息詰ってしまう。私の場合はあくまでも精神的にもフリーター的な精神ですから、あまり固定概念がないわけです。要は出たとこ勝負ということなのです。というのは、たとえばシンガポールの再建ですけど、フィリピンの場合は華僑系の人間なのです。中国文化を背景にした。シンガポールはイギリス人なのです。イギリス人がパートナーで、シンガポールヤクルトはシンガポールだけは例外的に出資比率の規制がなかったから50%、50%なのです。ハーフハーフなのです。
森辺:自由ですもんね。
平野:だから、シンガポールの場合はものすごくまた赤字が膨らんでしまって、にっちもさっちもいかなくなってしまった。それで、再建しないといけないということになりましたけど、フィリピンの再建が上手く転がるようになったので、平野今度はシンガポールだということになってシンガポールの再建に取り組むことになった。ところが、イギリスのパートナーの、イギリスは鮪など食品大手の企業なのです。そこから派遣されているトップ、役員がいる、いわゆるパシフィック。
森辺:アジアパシフィックのヘッドみたいな人ですかね。
平野:うん。やはり健康食品で鳥エキスをやっている会社なのです。鳥の薄めたエキスを健康食品としてやっている。イギリス人のトップの人間はミドルストンと言うのですけど、やはりイングランド出のなかなか良い生まれの人間なのです。それからそのミドルストンをサポートしているピアニというのがいまして、それがスコットランド人。あとイングランド人とか何だとか何名かいましたけど、なぜ失敗したかという1つの大きな理由の中で、イギリス人はシンガポールのビジネスについては歴史もあるし、プロだという意識がある。シンガポールのビジネスについてはプロだという意識があるし、シンガポールはイギリスの植民地だという名残もあるのです。それから、シンガポール人というのは昔の相思国ではないですけど、イギリス人を高く評価しているのです。イギリス人の言うことは聞くけど、日本人の言うことは聞かないのです。優秀な人間ほどそうなってしまうのです。ただヤクルトはレベルがあまり高くない会社だったので、シンガポール大学を出た超一流の人間を採用なんて出来ない。やはりシンガポールの高等学校を卒業の社員というのを。あとは、こっちから日本人として再建の前から、スタートから派遣している人間が日本人のくせに日本人の誇りがないのか知らないけれど、イギリス人の、白人の前に行くとぺこぺこしてしまうのです。
森辺:アジア人にはありがちな、白人にはちょっと弱いみたいな。
平野:白人コンプレックス。白人コンプレックスで、どっちかというと英語で言葉を使うときにイギリス人に対してサーをつけるわけです。
森辺:いけないですね、それは。
平野:サー(sir)をつける。何々サー、何々サー。
森辺:自分から自分が下だと。
平野:そうです。認めてしまっている。
森辺:50%、50%なのにね。
平野:そういう状況だから、ますますシンガポール現地人は日本人の言うことを聞かない。
森辺:それは驚きですね。
平野:それで私が本当に頭にきたのは、何でイギリス人にサーをつけたものの言い方をするのだということでその連中を全部かえしてしまった。また新しいヤクルト本社では少し出来の悪い連中を入れたわけです。
森辺:再建チームとして送り込んだのですね。
平野:ヤクルト本社のルールにあまり従わない連中が再建の具体的な活動をやらされている。フィリピンでも僕はそういうような人間を選んだ。イギリス人に絶対に卑屈にならないようにという戦略を。
森辺:それは非常に重要だと思います。
平野:そのために、これは私のまた好奇心からくる雑学が役に立つのです。シェイクスピアの話しをすると、イギリス人のパートナーより私のほうが詳しい。それからイギリスの歴史。イギリスの歴史でノルマンディー公の時代からの歴史でもイギリス人よりも私のほうが詳しい。だから彼らも私に物を言うときは少し遠慮をするわけです。話題において、イギリス人のパートナーより上回っているのです。
森辺:でもそれものすごく重要なところがおかしかったわけですね。パートナーにサー使っていたら完全に、半分出しているのに、自分たちは下ですよという話し。
平野:自分たちがあの連中につかう。現に、シンガポール人が言っていました。私に給料をくれているのは誰かという問題です。イギリス人が給料をくれているということ。
森辺:そうですね。そこに。
平野:それで、私はやはりイギリス人たちに一発かまさないといけないと。再建をしないといけないと絶命絶命的に追い込まれている。僕はその再建条件を出した。再建条件を出したときに、平野の言うことを聞かなければヤクルト本社の再建はないことにしてシンガポールから撤退すると。本当はそういう決まりはヤクルト本社ではなかったのです。
森辺:さすがです。かましたわけですね。
平野:だいたいこの赤字の責任は何なのだと。それはあなたたちの経営が間違っているからこういうような状況になった。あなた方はシンガポールのビジネスではプロかもしれないけど、ヤクルトでは素人だと。平野はシンガポールの経営はプロではないけれどもヤクルトではプロだと。それはイギリスにはイギリス人として私がフィリピンなんかでやってきているようなことを調べているのです。僕はこういう切り出し方をしたのです。3年間私がプロとしてヤクルトの仕事をするから、3年間あなたたちの一切くちばしを入れるなと。これを飲まなかったらこの再建はないことになると。僕は芸が細かい。芸が細かいのは会議室のドアをずらして少し開けておいた。というのは外に秘書がいるから。
森辺:現地のね。シンガポールの。
平野:現地の秘書がいる。ロイヤリティの高い秘書だったのです。その秘書に聞こえるように僕はデカイ声を張り上げるわけです。3年間くちばしを入れるなと。それはどういう、理由があるのです。ちゃんとした理由が。それはどういうことかというと、シンガポールでパートナーを決めるときにヤクルト本社のどういう法務担当の連中はそういう契約を作ったかしらないし、弁護士はどういう弁護士がついていたか知らないけど、こういう分担になっているのです。経営の管理とマーケティング、広告宣伝ですね。マーケティングの中に入るわけですけど、はパートナー側が責任を持つと。ヤクルト側は製造と営業を、責任をもつと。本当はおかしいのです。50%、50%でこういう契約をつくる。ところが現に契約書はそうなっている。その管理とマーケティングが間違っていたから今の状態になったということを僕に言われるわけです。僕はそれを言えるわけです。あなた方のマーケティングのやり方、それから経営のオペレーションの仕方が間違っているから今の結果になっていると。だから3年間は平野が責任をもってやるからくちばしは絶対入れるなということで、経営権を100%にしてしまった。そうしたら、イギリス人も関心で契約を結ぶと契約を守るのです。
森辺:そうですね。白人は契約書を守りますね。
平野:本当に文句1つ言わなかった。
森辺:それで再建をしていったという話しですよね。シンガポールをやって、メキシコをやって、いろいろやってというのが次々に続いていったと。それで再建屋と呼ばれるようになっていったわけなのですね。そのヤクルトの世界ブランド化みたいなのは、平野さんどうやって進められたのですか?再建が終わったあとに、さらに拡大をされていかないといけないではないですか。その中で今ヤクルトは世界的ブランドの1つだと思うのです。多くの人がそれを知っているし、そういうことはどんなふうにやられていったのですか?
平野:僕はずっとヤクルトにいる間に再建の仕事が長かったものですから、新しく進出するということをその間止めてきたわけです。要は新しく進出するという戦力がなかったわけです。再建で精一杯。ところが、10年ぐらい再建ばかりやってきましたけど、ようやく再建の見通しがついたわけです。今から先、新しく進出するということが出来るようだという気になったのです。だから、まずその小手調べ。小手調べでシンガポールから近いところにあるので、都合がいい、便利だということもあってインドネシアに出た。インドネシアはご存知の通りサリムグループという巨大なグループがあるのです。サリムグループではなくて、他のグループなんかも僕はずっと自分なりに調べたのですけど、日系の商社なんかがいろいろなビジネスグループと手を結んでいるわけです。それで、その中でいろいろな商社の人たちから情報を聞きながら自分で現地に行って調べたりもしたのです。シンガポールから近いですからね。サリムグループが良いのではないかということで、最終的にサリムグループと合弁の話を進めた。ところが、サリムグループはその頃外資と約300社ぐらいと提携をしているのです。完璧なのです。要するにシステムとして、企業システムとしてヤクルトなんか田舎の田舎者、どん百姓の企業みたいな。向こうの弁護士が秘書、秘書室の秘書なんかもみんな弁護士の資格を持っているのです。係数関係でもものすごく進んでいるのです。それからいわゆる合弁というのも手慣れているわけです。順番があって。分担も決まっていて。いやー驚きました。ヤクルト本社の経営はあれから見ると世界企業のど田舎のど田舎の企業なのです。そもそもインドネシアの文化をヤクルトは知らないのに、インドネシアのサリムグループは日本の文化を知っているわけです。それで、僕はえらくすごくプロがいっぱい占めているなと思った。日本人の日本でうちの顧問の弁護士をやっていた連中なんかは連れて行ったけど、向こうの弁護士に全然歯が立たないわけです。
森辺:優秀ですよね。
平野:アダムという弁護士が主任でいたのですけど、アダムというのはサリムグループが元アダムは東京銀行の顧問弁護士をやっていた。
森辺:当時東京銀行は世界中に出ていましたものね。
平野:東京銀行の弁護士をやっていた。それで、サリムグループとの諍いのときに、サリムグループが負けてしまった。サリムグループはアダムを引っこ抜いた。
森辺:優秀だから。
平野:引っこ抜いた。連中が向こうの弁護士です。こっちから連れて行った弁護士事務所から連れて行ったのですけど、全然太刀打ちできない。ヤクルトのを連れていったら。それから向こうから出てきたいわゆる僕との交渉担当の役員がいるのです。交渉担当の役員がいてその交渉担当の役員が最初に僕とサリムグループのトップが、アンソニーというのがトップでいたのですけど、アンソニーがこの人間と交渉の話を進めてくれというわけです。それも合弁企業を作るプロなのです。最初に会ったときに僕が一発かまされました。どうやって一発かまされたかというと、ミサイルをわれわれの話しをドイツ語にしますか?英語にしますか?と聞くのです。僕はドイツ語なんて全然知らないです。英語にしましょうと。われわれの交渉の話に秘書がいる。秘書がいるけど僕は交渉項目をお互いに見せ合うわけです。何と何を交渉するという項目だしをするわけ。項目を出し合って、1つ1つ潰していくというやり方をするのです。それで1つ1つ出資比率の問題から始まって、いろいろ責任分担の問題とか、いろいろな項目があるわけです。それで話をして1つ1つを潰していって、お互いに協同でこれは潰したねと確認をし合う。それで次に移るまで15分間、コーヒーブレークをしましょうよと。コーヒーブレークが、雑談が長くなって20分ぐらいになるときもありますけど、会議室に戻るともう英文の議事録ができているのです。英文の議事録ができている。
森辺:80年代とかですよね。それだけ進んでいるという話ですよね。
平野:ヤクルト本社の秘書室なんかでそんな議事録を作れる人間は誰もいないですから。英語で議事録を作るなんて誰も。サリムグループは進んでいるわけです。
森辺:日本の会社は多いと思います。平野さん、これ4回目で時間が大分オーバーしてしまったのですけど、もっともっと僕聞きたいことあるのであと2回やりましょう。今日はちょっとリスナーのみなさんすみません。ここでいったん切らせていただきますけど、平野さんまた次回よろしくお願いします。
東:今日はありがとうございました。
森辺:ありがとうございました。