森辺一樹(以下、森辺):皆さん、こんにちは。森辺一樹です。今日の収録は、急遽収録しなきゃいけなくて外で収録をしているので少しいろんな音が入ってしまうかもしれませんが…。すみません。ご了承ください。編集でね、多少取ってくれるかもしれません。
今週1週間、軽井沢のほうにずっといて、こっちで仕事をしていたんですけど、そんな中でね、ぼーっと考えていたら…。ぼーっと考えていたらと言うと、まったく仕事をしていないみたいですけど、ぼーっと考えていて。東京ね、コロナがすごく増えている、4万人超えたとか、世界で最もコロナが多くなったとか、Yahoo!ニュースで流れていたんだけども、そんなことを聞きながら。一方で、アメリカなんかは野球観戦とかもノーマスクでみんな見ているし、街もノーマスクだし、ヨーロッパもそんな状況な写真とか動画とか、いっぱい僕、友人から送られてくる中でね、この日本と欧米のコロナに対する対応1つ取っても、日本って表向きの体裁は、1人の犠牲も出さないと、1人のコロナ患者も出してはいけないんだという、現実的に考えると物理的に不可能なことを言って、そして、物理的に不可能なんだけど、それを精神論で成し遂げようとするという、そういうところがやっぱり何においてもあって。それの最たるものが中国なんだけども。中国は0コロナ政策をやっているわけですけど。でも、中国の場合はそこに、日本では考えられないような、少し非人道的な強制力を効かすわけなので、またちょっと日本のとはね、違うんだけどもね。あそこまで振りきっちゃうんだと、もう強制的にそれをやるわけだから、ちょっと西側の考え方じゃないというね、その意味合いですんなり入ってくるんだけども、日本のこの生ぬるい非合理的で物理的に不可能なことを精神論的に成し遂げようとするという、何ともこの微妙なスタンスが非常に欧米と違うなと。特にアメリカと違うなと。
アメリカの場合は、より科学的に物事を考えるし、合理的に考えるし、物理的に不可能であると。死者を出さないとかっていうのは物理的に不可能で、多少の犠牲はしょうがないということを何事にも、リスクを取るってまさにそういうことで、犠牲を払うということなので、アップサイドだけを取るなんていうのは無理で、アップサイドを取るためにはダウンサイドを取らないといいけない。そのダウンサイドというものがリスクであって、それの受け入れ方が日本よりも、そこに対するリスクテイカーと言うんですかね、まあまあ、そういうふうに言われるわけですけどね、日本はノーリスク、リスクを嫌がると、0リスクと。なので、さっき言った中国の状況というのはまたちょっと違うんだけども、日本と米国を比べたときに、もう彼らは風邪になっちゃっているわけで、克服も速かったわけで、世界で一番速くコロナを克服していて、もう風邪であるという解釈をしているわけなのでね。そして、またアメリカはより強くなった。そういうことが、このコロナだけじゃなくて、いろんなことに、ビジネスにおいてもやっぱりあって。どっちがいいのかなって考えるんですけどね。僕もどっちがいいとかっていうことをここで言いたいのではなくて、日本には日本の良さがあるし、アメリカにはアメリカの良さがあるし。ちょっと中国のね、強制的な0コロナ政策はいまいちよく分からないけど、実は中国製のワクチン効かないし、老人のほとんどはワクチンを受けていないから、あれをやらないと本当にたくさんの人が死ぬということをおっしゃっていた中国通の方もいらっしゃったのでね、もしかするとあれぐらいの強制力を効かせてやることが本当は人民の命を救うことになるのかもしれないし、ちょっと真実は分からないけども。
ただ、僕が今回のエピソードでお話したかったのは、アメリカの強さって、ダウンサイドを取れる勇気というか、リスクを取れる勇気ということが非常に素晴らしくて、彼らは精神論的に、コロナ患者を出さないとか死者を出さないなんて、それは無理だということが科学的に物理的に合理的に分かっていて、であればその中で最善は何なの?ということを抽出するんだけども、それに対して国民も理解を示すと。でも、日本の場合は、科学的にはこうなんだけど、でも、精神論的にはそれは受け入れられないという世論があって、そして、その方向にはなかなか動いていかないので、なかなかリスクを取らないと。リスクを取らないということは強くならない。もし世界に次のパンデミックが起きたときに日本よりもアメリカはまた強いんだろうなということを少し考えちゃうという、そんなお話でございました。
すみません。結論はないです。ただ、ふとそんなことを考えたので、知らせてみました。
以上です。また皆さん、次回お会いいたしましょう。