東:こんにちは。ナビゲーターの東忠男です。
森辺:こんにちは。森辺一樹です。
東:では森辺さん、引き続き傳田さんをお迎えしてお話をお伺いしたいと思うんですけども、今日はどんなお話から?
森辺:そうですね、傳田さんには今日はですね、まあ前回、20代、30代、40代、インテルの社長として過ごしてきた傳田さんの人生の話をお聞かせいただいたんですが、今回はその中でインテルという会社に少し触れながら、「Intel Inside」の誕生の秘話とか、傳田さんがインテルにいらっしゃって社長をやられていた頃っていうのはまだまだインテルが小さかった頃でございますので、そこからインテルが成長していった、そんなところのお話が一番面白いと思うので、そんなところを傳田さん、お聞かせいただければと思うんですがいかがでしょうか。
傳田:私が30代になりますと、これから、私が考えたことはやっぱり組織っていうのは非常に重要だと。ということで、いかに自前のプロパーの人間を育てるか。で、20代っていうのは基本的に、それぞれの経験をもって外資系にいた人たちが来たんですが、やっぱり最終的にインテルの価値感、ビジネスのやり方、合わないんですね。私は1980年代から毎年大学を回って、新卒を30人から60人毎年取ったんです。要はこれから自前の人間つくろうと。という中で、最終的にそれからスタートして「Intel In It」っていう、「Intel Inside」の前身のね、1989年に「Intel In It」というブランドをつくったんです。それのもともとが、私自身が大学の学生たちをリクルートするうえで、先ほど申しましたように、前回、両親が認めてくれないと。そういう意味でブランド、それから会社知らない、テレビに出てない、ということで、当時アメリカ人の社長と私、二人でセールスとマーケティングやっとったんですが、どうしてもインテルっていうブランドを、マイクロプロセッサというものがパソコンの中に入っていますから、普通の人は知らないわけですね。だけどいずれはインテルっていう会社のブランドそのものを外に出していかないと、やっぱり将来の成長ないだろうということでいろいろ検討しまして、当時、電通に頼んで、マーケティングプログラムを頼んで考えてもらっていた。そこから出てきたアイデアが「Intel In It」なんです。その当時私は30代、もう本当に学生を集め、それから会社がどんどん大きくなって、僕自身がいろんな組織をつくるわけですね。その過程っていうのは、私自身も30代の前半でもうマーケティング本部長やりました。それから32~33歳で営業本部長というベースで、実は営業本部になる前に、ここは今回初めて言うんですが、私の前身の営業本部長がある理由でアメリカから退職を迫られて、その代わりに、「傳田さん、あなたが営業本部やってくれ」と言われたんですね。そのときに僕が一番考えたことは、この会社を成長させるためには絶対リーダーとしてこれをしなければいけないっていう、僕はもう、その30代の始めに考えまして、これから営業としてこういう方針でやりますって、すごい方針を出したんです。で、もし皆さんで、従えないという人たちはこの部屋から出てってほしいという、僕はやったんですね。そうしましたら、前の営業本部長の時代から入った人たちが基本的に僕のやり方はやっぱり嫌だということで20名ぐらいの人が辞めたんです。これが僕にとって一番最初の人生の岐路ですね。自分がリーダーとしてこれからやろうとしたときに、ある意味では経験した人が僕の方針に従えないと、そういうことで去るわけですね。そうすると、会社の中とか代理店とか、周りから本当にいろいろと言われました。だけど、僕は本当に自分のやったことが正しいかどうかっていうのは、現在じゃなくて、僕がやったあと歴史が証明すると。僕はこのやり方で通すということで、去ったあとの人たちとは別に、その代わり毎年新卒を入って、そういう新卒の人たちを育てるわけ。新人で入ってきた人たちに対して代理店に派遣させて、一日に100枚のお客さんの名刺を集めさせたり、そういう教育に関しては僕はかなり時間かけたね。そして自分が考える組織をつくってそれぞれミドルマネジメント等を育てるわけですけど、インテルの一番すごいところは社長から、日本の社長から一番末端までの間にレイヤーは二つしかないんです。僕の上にはシニアVPがいて、社長ですから。僕の上のインテルコーポレーションのCEOと僕の間は一人しかいない。だからインテルのCEOから日本の末端までの間には三つぐらいしかないんですよ。要は、インテルはなぜ大きくなったかっていう一つの中に、組織のシンプル、いわゆる何々代理とか、そういうことは全くつけません。すごく風通しよくした。そういう組織を僕は非常によい、考えでね。で、自分でジャパンのビジネスモデルが変わるごとに組織をつくる。いわゆるアメーバのようにつくって、そしてたまに時々プロジェクトベースのタスクフォースをつくるんですよ。で、あとはいかに育てるかと。で、そういうことやってく中で一番の問題が、先ほどのブランドが…。
森辺:採用ですね。
傳田:そうです。で、それで「Intel In It」という、「インテル入ってる」というベースのアイデアです。これを、これはいいだろうということで、それを一番最初に持っていったのが、前回話しました、東芝のノートブックに「Intel In It」のロゴの入ったのをつけてもらう交渉を私がしたわけですね。
森辺:いやこれもね、僕もうずっと昔から気になっていたんですけど、人のメーカーのパソコンに、CPUって非常に重要なパーツなんですけど、その他にもハードディスクであったり、メモリであったり、いろんなものがあって当然彼らとしても、何とかInsideって書きたいのに、インテルだけが載っていると、パソコンに。CMでNECのパソコンのCMでも東芝のパソコンのCMでも富士通のパソコンでも最後にちゃんちゃんちゃんちゃん(←インテルサウンドロゴ)って必ず出てくると。このインテルっていう会社はどんな会社なんだろうと、学生のときにすごく思ったことがありますね。とてつもない権力を持った、ものすごい会社なのかなって。だって人のCMに出てくるんですよ。
傳田:そうですよ。まさしくそう。だから一番最初に僕は東芝の事業部長だった当時、溝口さんと、インテルのロゴをつけてほしいと。そうしたら必ず一番最初に「傳田さん、なんで東芝の製品にインテルのロゴつけるの」と。もう一番最初は即、拒否ですよね。で、その拒否から、僕は当然拒否されますけど、それをどうやって実現するかは僕のやっぱり、自分の仕事ですよ。
森辺:それで僕ね、さらにすごいと思ったのが、これがアメリカ本社の戦略で、アメリカがワールドワイドにやっているから日本も従えというスタンスなのかなと思ったら、実は日本発で傳田さんがやってたっていう、そういう話じゃないですか。そこに僕はもう一つの驚きを得ているんですけど、そんなところの経験談なんかをお聞かせいただけると面白いと思って。
傳田:そうですね。パソコンが90年代からどんどん入ってくる中で、基本的にはやっぱりデスクトップですね。アメリカの戦略はデスクトップで、どんどんとマイクロプロセッサも性能のいいほうに上げていくわけです。だけどもわれわれ日本人として、あんな大きなデスクトップは日本でどんどんはやるかっていったら僕は考えられないと。それを東芝の溝口さんが日本は軽薄短小の世界だと。
森辺:東芝の溝口さんっていうのは元の取締役専務ですね。
傳田:ええ。その人がやっぱりノートブック、小さくて軽くてというベースのアイデアを出してそれで「傳田さん、どうしてもこの製品を世の中に出したい」と。僕もそれを見まして、当時はすべてのマイクロプロセッサはデスクトップ向けですから、こういう小さなノートブックに考えてないわけですね。それでもう一つは製品がすべて標準じゃないですか。全く標準のものをここに持ってくるのもできないし、なぜかっていったら、値段は特別プライスなんてあんまりできない時代ですから、ですから標準品で普通どおりの値段でやったら東芝のノートブックはできないんですよ。それで僕は考えまして、東芝のノートブック用の製品、Int.のマイクロプロセッサを特別なスピード、クロックスピードのバージョンをアメリカに、世の中に出てないものをこの東芝向けだけにスクリーニングしてほしいと頼みまして、それを特別プライスで出して、その代わり東芝は、溝口さんはわれわれの「Intel In It」のロゴをつけてくれるという、こういう交渉組みをしたわけです。それで最終的に、今は時効だからいいと思うんですが、当時溝口さんは「傳田さん、これは事業部長の専任として私が決めるけど、これを本社のリーガルデパートメント持っていったら多分無理です」と。だから私が特別の製品と特別のクロックの周波数を出して、特別値段で出して、溝口さんはこれを貼ってくれることを許したっていうことで、全くの二人の間の共同作業です。
森辺:そりゃあそうですよね。それがでも、結局は最終的に、どのメーカーもそれを搭載して、CMには必ずそれが流れると。
傳田:そうです。それで、僕はそれの延長線上で、90年代以降も僕はモバイルのCPUの事業本部は日本に持ってこいと。と言って僕はアメリカ本社とかなりやりました。なぜかっていったら、それから毎週のように技術者が日本に来るんですね、アメリカから。要はモバイル用のプロセッサはどうあるべきか、どういうスペックのものをつくったらいいかということを今まで全く日本の話を聞かなかったアメリカが聞くようになってきた。だからわれわれのボイスですよ。だから、お客さんと日本のわれわれの声でアメリカは徐々に徐々にノートブックの重要性を理解したと。
森辺:確かにアメリカのノートブックっていうのはとにかくでかい。アメリカ人だったらあのでかいノートブックいいでしょうけど、やっぱり難しいですもんね。マッキントッシュも昔はものすごいでかくて、ノートブック結構頑張っていましたけど、あそこは先行してノートに力入れていましたけど、やっぱでかかったですよね。
傳田:そうですね。それでさらに「Intel In It」を、僕らは本当にコマーシャルをつくったんです。カートゥーン(cartoon)という、いわゆる人物じゃなくて、何ですか、アニメみたいな?あれを本当に日本のテレビでコマーシャルを出したんです。それを覚えている人たちは古い人たちで何人かいますけど、ちゃんと僕らはわれわれは「Intel In It」のテレビコマーシャルやったんですよ。それで見てインテルって知った人たちはかなりいますからね。
森辺:今はやっていますよね?
傳田:今はもう全然カートゥーンじゃなくて、いっぱいやっていますけど。インテルが、われわれが1989年に「Intel In It」出して、正式にこれを世界プログラムとして発動したのが2年後の1991年ですから。
森辺:ああ、じゃあ日本発なんですね。
傳田:もちろんそうですよ。
森辺:いや、すごいですね、これは。イノベーションですよね、日本発のね。結局何が面白いかっていったら、BtoB企業がブランディングをやるっていうところに僕は一番の興味があって、普通やらないんですよ。半導体メーカーさん、メモリメーカーさん、ハードディスクメーカーさんやっているか、モーターメーカーさんやっているかっていったらやってなくて、CPUだけが特別な別にパーツじゃなくてね、インテルがやるんだったら別に日本電産もやっていいし、村田製作所もやっていいし、何とかもやっていいわけで、なぜインテルだけがやったんだっていうところにものすごい興味があったんで、傳田さんと出会ってそこがすごくすっきりしたんですけどね。BtoBがこれをやるっていうことに、もちろん採用したいっていうところがきっかけだったのかもしれないですけど、BtoBがこのブランディングをやるっていうことを、いざやってみてどうですかね。
傳田:基本的な、もっと先にいきますと、「Intel Inside」の基本的な戦略っていうのは、当時われわれがいた90年代は、インテルの最大のミッションはパソコンのユーザーを世界で最大限に広げるっていうミッションなんです。われわれインテルですけど、半導体の会社じゃないんです、はっきり言って。もうすごい抜きん出たすごいマーケティングの会社とテクノロジーの会社で、「Intel Inside」のパソコンをエンドユーザーが直接指名できるようにすることがわれわれの戦略なんですよ。だからどこどこのメーカーのパソコンじゃないんですよ。
森辺:その考え方が、実はBtoBの、多くの日本企業のBtoBはマーケティングとかブランディングは大企業とか消費材メーカーがやるものだと思っているんですけれども、ものを売るには流通構造を取る、販路を構築するってことが重要なんですけど、実はこのBtoBのマーケティング、ブランディングに力を入れるってことはまさにそういうことで、特に中堅中小企業さんが本当にそのマーケットでポジションを取っていくんだとすると、僕はこのブランディングへの投資っていうことは、だってインテルがまだ100人だったときにそれをやってのけて、こうなっているわけですから、決して日本の中堅企業もここを無視しちゃいけないんじゃないかなっていう気持ちがちょっとあって。
傳田:と思いますよ。やっぱりブランディングっていうのは、マーケティングっていうのはめっちゃ重要ですよ。もう一つ、僕言いたいのは、グローバルマーケティングっていうマーケティングもあるんだけど、僕らのパソコンっていうのは、要は世の中に何もなかったものをわれわれがつくったわけですよ。そのつくったものを世界に、本当にグローバルに売るためのマーケティングっていうことを、もう一つはあるできたものを改良しながらそのマーケットに合わせるものと全然戦略が違うわけですね。だから私なんかの一番の常にインテルのミッションっていうのは、マーケティング戦略っていうのは、まず売り上げをわれわれはパソコンでいくら上げるんじゃないんですよ。インテルの最大のミッションは、いかにパソコンのマーケットのパイを広げるか。これが最大の戦略なんです。その中で、パイを広げた中で、競争相手とどれだけのビジネスやるかが2番目なんですよ。これがほかと違うところなんです。
森辺:僕ね、インテルからすごい多くのことをリスナーの人たちは学べると思うんですけど、日本の、まあインテルも小さかったわけじゃないですか、中堅中小企業はいいものさえつくっていれば、商売は上から降ってくると思っているわけですよ。けどインテルは小さかった頃に、いいプロセッサをつくっていれば、NECが買う、ソニーが買う、何とかが買うっていう発想じゃなくて、彼らのパイを広げることによって自分たちのプロセッサを突っ込んでいくと、そういうマーケティングベースの発想で、僕はすごく今の日本の中堅中小企業に、何十年前ですか、71年なんで、40年前にインテルはその発想がやれてるから今のインテルがあって、その発想を日本の企業さんに本当に持ってほしくて、いいものをつくるだけじゃない、いいものをつくっているのはインテルは当たり前で、マーケティングがやっぱりインテルにはあったんですよね。それがすごく面白い会社だなっていうのは思ったりするんですよね。
傳田:実はこれは私の、自分の個人の考えで、日本の会社で僕が一番期待した会社があるんです。それがNECなんです。パソコンの時代、私は本当にNECのパソコンでビジネスをして、大きくビジネスをさせていただいたんですが、その当時から昔からNECはC&Cという、このComputer&Communicationというテーマでビジョン出している会社は世界にないんですよね。
森辺:それ何年なんですか。
傳田:多分もう1980年代からあったと思います。これはまさしく僕らが90年代入れて本当にコンピューターとコミュニケーションがいわゆるネットワークというこういう時代の中で、既にNECはその何十年前に戦略を出しているわけですね、ビジョンを。で、残念なのは、一番残念なのは、それが、世界で一番その、出していて、それが実現しない今の会社ね、僕は非常に残念なんですよ。僕はこのC&CイコールNECがもし成功しておったら、私は世界のIBM、世界のインテル、それからシスコシステムズ、この3つを一つにした会社がNECになったんじゃないかと、僕は個人的な思いですよ。これがありますよ。だからC&Cっていうこの戦略ね、僕はめっちゃくちゃすごいと思うんですよ。
森辺:すごいですね、80年代にそんなことを言う会社って。学生の時覚えていますけど、NECっていったら、死んでも入りたい会社No.1とかだったんじゃないですかね。そうですか80年代、早いですね。
傳田:だからね、僕は先見の明というか、あの基本的な戦略っていうのは世界、誰を見てもあそこまで考えている人いないですよ。だから当時はもちろんコンピューターやっていましたよね。だけどコミュニケーションっていう、このネットワークの時代をあの段階から多分考えていたっていうのは、だから僕NEC大好きですけどね。本当にNECがあのまま本当に実現したらすばらしい会社ですよ。
森辺:またNECは復活してほしいですね。
傳田:そうでしょ。そう思います。してほしいと僕は思いますね。
森辺:なるほど。わかりました。第2回目もそろそろお時間でございますので、傳田さん本当にありがとうございました。また次回も引き続きよろしくお願いいたします。
傳田:わかりました。よろしくお願いします。
東:お願いします。