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グローバルの流儀 フジサンケイビジネスアイ紙 特別対談シリーズ『グローバルの流儀』は、弊社代表の森辺がグローバルで活躍する企業の経営トップにインタビューし、その企業のグローバル市場における成功の原動力がどこにあるのか、主要な成功要因(KSF)は何かなど、その企業の魅力に迫る企画です。本企画は2015年にスタートし、今年で9年目を迎えます。インタビュー記事は、新聞及び、ネットに掲載されています。
Vol.25 日本の伝統ブランドから、50%の海外売上比率を誇る世界企業へ
KAIグループ 代表取締役社長 遠藤 宏治 氏かつては「カミソリ」の代名詞であった貝印株式会社。 1908年の創業以来、110年余りの歴史を持つ日本の伝統ブランドだ。 現在の取扱い商品は多岐にわたり、キッチン用品、製菓用品、ビューティケア用品といった生活用品から、医療用品や業務用刃物まで、 約1万点ものアイテムを日本国内のみならず世界各地へと展開。 家庭用包丁の国内シェアはトップであり、海外では包丁のブランド「旬」が大ヒットしている。 その海外売上比率は50%にもおよぶという、日本屈指のグローバル企業だ。 今や世界のブランドとなった「KAI」の人気商品と、国内、海外展開について、KAIグループ 代表取締役社長 遠藤宏治氏に聞いた。
カミソリから美粧用品、家庭用品、医療用品へと業務を拡大
森辺: 年配の方にとって、御社は「カミソリの会社」というイメージがあると思います。 私の妻が言うには、キッチンウェアのメーカーだと。。。料理教室で御社のキッチン用品を使っていて、勧められたそうです。 御社の商品は人によってイメージが随分異なるようですね。 まずは御社の事業内容と歴史についてお聞かせください。
遠藤: KAIグループは、販売会社として東京に本社を置く貝印株式会社と、 岐阜県関市小屋名にて貝印カミソリの製造や、業務用カミソリ、医療用刃物、特殊刃物を専門的に扱う、カイインダストリーズ株式会社を中心に構成されています。 社長は私で3代目。110年余りの歴史で3代目というと、1代1代が長いことがお分かりになるでしょう。 カミソリで脚光を浴びた当社ですが、現在では大きく4つの商品群を扱っています。 カミソリと、美容系の道具である美粧用品、包丁を中心としたキッチンで使われる家庭用品、メスをはじめとする医療用品の4カテゴリー。 この全てに共通するのは「刃物」だということです。
そもそもは1908年、私の祖父である遠藤斉治朗が関市でポケットナイフ製造メーカーとして創業しました。 関市は今から約800年前に刀鍛冶が住んで刀を作り始めたといわれ、全国的に日本刀で有名な街です。 現在でも刃物メーカーが結構たくさんあるんですよ。 お陰様で、当社は関の刃物メーカーの中で最大規模を誇っております。 そして1920年に「合資会社遠藤刃物製作所」を設立してポケットナイフ生産の充実化を図りました。 その後は1932年、初の国産カミソリ替刃の製造開始、1951年、「貝印長刃軽便カミソリ」の製造開始、その後包丁やハサミ、医療メスなどへと生産商品を拡大。 1956年には貿易部を設け、海外に刃物類の輸出を開始しました。
1977年、アメリカのオレゴン州に「kai cutlery U.S.A. ltd.(現 カイ U.S.A.株式会社)」を設立、 1978年、香港に「kai cutlery (H.K.)ltd.」を設立、 1980年、ドイツ・ゾーリンゲン市に「kai cutlery (Europe) GmbH(現 カイ ヨーロッパ有限会社)」を設立するなど、海外展開にも注力。 この他にも現地法人は、中国、ベトナム、韓国、インド、フランスに展開しています。 1988年に現在の「貝印株式会社」へ社名変更。 順調に業績を伸ばし、2018年に創立110周年を迎えました。
森辺: 豪壮な歴史ですね。 遠藤社長は大変若い時に社長に就任されたとお聞きしました。 社長ご自身の経歴をお聞きしてもよろしいでしょうか?
遠藤: 当時、西海岸がファッションのブームになっていたことから憧れを抱き、大学を出てからロサンゼルスにわたりました。 サンタモニカに住んで、マリナ・デル・レイという西海岸では一番大きなヨットハーバーの近くにある大学に通い、 青春を謳歌しながらもちゃんと勉強もしまして(笑)、MBAを取得したんです。 それから日本に戻ってきて、2年間出向後、貝印に入社し、工場の資材関係や生産管理、刃物の開発、経営企画とさまざまな経験を積みました。
その後、経営企画室長に就任した当時ブームになっていた、 企業が自社の理念や特性を社会に共有してブランドイメージを確立するコーポレート・アイデンティティ(CI)の流れに乗り、当社もCIを構築。 これは私が中心になって行ったんです。 社名変更と、ホタテ貝からグローバルで通用する「KAI」を象った新たなロゴマークへ一新するとともに、 生販一体となった新生 KAIグループとして新たにスタートを切りました。 それから東京に移り、副社長兼営業本部長の任に就いた矢先、1989年の9月に2代目社長である父が亡くなり、私は33歳で会社を継ぐことになったんです。
森辺: 33歳の若さで2代守り続けられてきた会社を継ぐというのは、なかなかのプレッシャーだったんじゃないですか?
遠藤: そうですね。ただ、父は持病を抱えていて、私が社長を継ぐ10年、15年ぐらい前から入退院を繰り返していました。 社長不在の間、私がピンチヒッターのような形で、CIの構築や新しい工場の建設といった重要な場面で表舞台に立ったり、 判断を下したりすることがあったわけです。 また、我々はファミリー企業ですので、やはり息子である私が将来はこの会社を継いでいくんだということは、 小さい頃から周りにも言われていましたし、自分自身、それなりの覚悟はできていましたね。
累計700万丁の包丁シリーズをはじめ、付加価値のある商品構成
森辺: 30年以上、社長を務めていらっしゃるということですね。 CIの構築と遠藤社長の就任が同時期で、この頃から御社のイメージが変わってきたように思うんですが。
遠藤: そうですね。以前はやはりカミソリのイメージが非常に強かったんですが、 それ以外の美粧用品、家庭用品、医療用品を使っていただいているお客様が増えていき、 カミソリだけではないというイメージがだんだん定着していったと思います。
森辺: 現在では、使い捨てカミソリでは40%の国内シェアでトップ、家庭用包丁の国内シェアもトップであるとお聞きしています。 御社のヒット商品について教えていただけますか?
遠藤: 最初はポケットナイフから始まった当社ですが、1932年にカミソリ替刃を作り始めました。 そのきっかけになったのは、当時、日本ではドイツ人が細々とカミソリを作っていて、そのドイツ人がある事情で本国に帰らなければならなくなったことです。 私の祖父は、現在のフェザー安全剃刀株式会社の創業者とともに「関安全剃刃製造合資会社」を設立し、 ドイツ人から機械を購入して国産の第1号となる「フェザー剃刀」の製造を始めました。 当時、国産では「フェザー剃刀」しかなかったので結構売れ、これが最初のヒット商品だったといえます。
2代目社長である父の代になり、「フェザー剃刀」を販売するだけではなくオリジナルの商品を作りたいということで、 1951年、L型の「貝印長刃軽便カミソリ」の製造を開始。 いわゆる「使い捨てカミソリ」にカテゴライズされていますが、厳密にいえば何回も使えるので使い捨てではないですよね。 これが貝印としての初のヒット商品ですね。 その後、軽便カミソリはより便利で安全なものに進化してきました。 1963年に、それまでは関税がかかっていた日本市場が自由化されたことをきっかけに、 ジレットさんやシックさんといった海外のカミソリメーカーも日本に進出してきて競争が厳しくなりましたが、 お陰様で当社の軽便カミソリは非常に評判が良く、国内のトップシェアをキープしています。
森辺: 御社の家庭用包丁は料理教室やプロの料理人に選ばれる最高峰の商品だというイメージがあります。 切れ味がいい包丁はうまみが逃げ出さず、全然仕上がりが違うといわれますよね。 包丁やその他の家庭用品について教えてください。
遠藤: おっしゃる通りです。 一番分かりやすいのはステーキですね。 切れ味が悪いナイフを使うと、切っている間にせっかくの肉汁が出てしまいますが、スパッと切れるとジューシーで美味しく味わえます。
包丁で一番ヒットしている商品は2000年発売の「旬」というブランドで、お陰様で世界における累計販売数が700万丁を超えました。 まだ着実に伸びているので、このまま800万丁、1,000万丁を目指しています。 「旬」は当社の110年を超える歴史の中で培われた独自の刃付け技術により、 滑らかで鋭い切れ味を実現した、食材本来の旨味を生かす包丁ブランド。 使いやすさを追求し、職人の手作業より細部にまでこだわった高い品質を維持しています。 ナイフ業界の最高峰アワードといわれる「Knife Of TheYear」の“Kitchen Knife of the Year”部門で過去に12回受賞するなど、 世界的にも品質とデザインが高く評価され、世界中に愛用者を増やし続けているんですよ。
包丁以外では、ピーラーやグレーターといった調理用品も広い意味で捉えると刃物であり、我々の領域だということで、貝印のブランドでいろいろと取り揃えています。 先ほど料理教室のお話が出ましたが、 当社では料理教室の主宰者たちを集めた「Kai House Culinary Artist Club」という“料理家のコンシェルジュ”をコンセプトとしたメンバーズクラブを運営しているんですよ。 さまざまなメディアや食品会社などからイベント企画やレシピ開発、タイアップレッスンなどを受託し、会員の方へ依頼を出すという仕組みです。 他にも、料理研究家の井上絵美さんが東京・青山で主宰している料理教室「エミーズ」も当社の関連会社なんですよ。 また、当社が運営する伊勢丹新宿店にあるレストラン「Kitchen Stage」では2週間単位で有名シェフの味をお楽しみ頂くことができます。
森辺: 単に商品を消費者に販売するだけじゃなくて、料理教室や料理人とのかかわり合いの中で御社の商品の良さを消費者に伝えていくという活動にも力を入れているわけですね。
遠藤: 我々は「KAIエクスペリエンス」と言っています。 KAIの商品を使って楽しい時間を過ごしていただくという経験を通して商品の良さを実感していただき、ゆくゆくは購入に結び付けられればと考えています。
森辺: カミソリと包丁を中心とする家庭用品が好調だということは分かりました。 美粧用品と医療用品についてはいかがでしょうか?
遠藤: 家庭用品は長年使い続けられる道具ですので、それに比べて伸び率が高いのは美粧用品ですね。 眉ハサミやビューラー、ツメキリといった美容に関する商品は、化粧品とは違ってすぐに消耗するものではないものの、 ファッションや男性の身だしなみに対する関心の高さから着実に伸びています。 それから医療用品については、日々に医学が進歩していく中、医療用の刃物に対してもニーズが多様化していますよね。 ドクター方とコミュニケーションをとりながら、もっと手術をスムーズに、安全に進めるための要望を聞き、それを叶えた商品を企画、生産しています。
国内は人口の減少から厳しい面がありますが、当社はあくまで刃物を中心にしつつ、より付加価値のある商品構成に変えていくことで、 大きな伸びは見込めずとも堅調に推移しているといえるでしょう。
海外売上比率15%から50%へ。現地適合化しながらアジアを狙う
森辺: 海外でも「旬」を筆頭に順調に売上を伸ばし、遠藤社長の就任後、海外売上比率が15%からなんと50%へ飛躍的に伸びたそうですね。 日本の消費財メーカーで50%の海外売上比率がある会社はほんの一握りです。
遠藤: 今、KAIグループとしては、全体の売上が約460億円です。 おっしゃった通り、そのうちの50%が国内、50%が海外という構成になっています。
森辺: 御社はBtoCではグローバル化に成功している企業だといえますね。 私は20年近く、日本の企業の海外販売支援をしています。 その中で、一族系の企業の方が、いわゆる非一族系の企業よりも海外展開しやすいのではないかという見解を持っていまして。 分かりやすい例を挙げると、ソフトバンクやユニクロ、日本電産、先日私が対談したミネベアミツミの貝沼社長も一族企業と言えなくもない。 BtoCではキッコーマン、シャチハタ、チロルチョコレートなど。一時期、一族企業はワンマンで、あまり良しとされない風潮がありましたが、 ガバナンスの問題にしっかり取り組んでさえいれば、素晴らしいリーダーシップを発揮して海外で成功しやすいように思うんですが。
遠藤: そうですね。一族企業はやはり決断が速いのが第一でしょう。出る決断も引く決断も速い。 そういうスピードは、海外展開で求められる大きな要素だと思います。 2014年に創業200年以上の一族企業のみが加盟を許される国際組織協会であるエノキアン協会の総会が日本で開催された時に、 2世代以上続いている一族経営でイノベーティブな企業を表彰する「レオナルド・ダ・ヴィンチ賞」を当社が頂戴したんですよ。 これは日本企業では初めてです。
森辺: 日本初とはすごいですね。決断が速いことに加えて、一族企業は「やりきる力」も大きいですよね。 大手企業だと、社長の任期が5年なら、その中で成果の出ることに経営資源を投入しなければならなりません。 新興国への投資は5年でリターンが出るものではないので、中長期的な辛抱がどれだけできるかが重要。 その点でも、一族ならではの覚悟がありますもんね。
遠藤: 諦めが悪いともいえますが(笑)。
森辺: 御社は、今から40年以上前の1977年にアメリカに現地法人を設立したわけえすが、現在の海外拠点の状況はどのような形でしょうか?
遠藤: 工場があるのはアメリカ、中国、ベトナム、インドです。 輸出では90以上の国や地域と取引しています。 一番売上が高いのはアメリカで、EUという形でいえばヨーロッパが2番、中国が3番で、次がアジアですね。
森辺: 今後、中国やアジア新興国ではどのような取り組みをしていかれるんでしょうか?
遠藤: やはりこれからはアジア圏が、一番伸びしろがあると考えています。 中国の工場を設立したのは23年前、ベトナムは14年前、インドは7年前で、その順番で発展させてきました。 この3つの生産拠点を中心にアジア圏を伸ばしていきたいですね。 日本が誇る技術を生かしながら、それぞれの国で現地適合化し、現地にふさわしい方法で「KAIエクスペリエンス」を通して商品を提供していくつもりです。
森辺: アジア圏でも基本的にBtoCのビジネスが中心ですか?
遠藤: 現状の我々の商売の比率からいうと中心はBtoCなんですが、 ただ、プロの料理人への商品提供や医療用品というのは、広い意味ではBtoBといえるかもしれません。 そこを含め、BtoBの可能性もこれから狙っていきたいですね。
森辺: 販売は各国のディストリビューターに任せているんでしょうか?
遠藤: 基本的にそうです。 欧米については当社の現地法人がありますから、現地法人を通じてディストリビューターや、場所によっては直に小売店に販売するという方法をとっています。
日本企業ならではの気遣いや技術で、海外売上比率増を目指す
森辺: 御社が今後グローバルで成長していく中で、もし課題があるとすればどんなことになるでしょう?
遠藤: 刃物はなくてはならないものではありますが、メインプレーヤーにはなりにくい。 包丁は調理道具の中ではメインプレーヤーといえるかもしれませんが、それ以外の当社の商品はあくまでバイプレーヤーです。 だから、伸ばしていけるパートナーを峻別し、協力してやっていくことが1つの課題でしょう。 もう1つは、日本企業の精神面や考え方の良さをどう現地に伝えていくか。 これは海外展開をする上で全ての日本企業にいえることですね。 当社では企業理念や行動規範を各国の言語に訳し、各拠点で唱和するなどして人材の育成に役立てています。
こうした努力によって日本の精神面や考え方が浸透したお陰でしょうか、当社の海外法人の離職率は極めて低いんですよ。 上海工場は創業23年になりますが、20周年の際、総社員数約220名の中、創業当時から20年勤続の社員が30名もいました。 現地の日系企業の方に、約13%の社員が20年も勤続している会社は、中国では非常に珍しいと驚かれましたよ。 もちろん給与や待遇の面もありますが、仕事の喜びや日本企業の良さを伝えられたからこそ、そこまでの離職率の低さを実現できたといえるでしょう。
森辺: 価値観の共有が社員としっかり取れているということですよね。 企業理念や行動規範は国内でもなかなか浸透しないことが多いので、海外にまで徹底できているのは素晴らしいことだと思います。 最後に、長期的なグローバル事業における展望をお聞かせいただけますか?
遠藤: 日本の企業ならではのきめ細かく行き届いた気遣いや技術を商品にもきちっと入れ込みながら、 今後はさらに海外の販売拠点を充実させて、海外売上増を目指したいですね。 日本人のきめ細かさは欧米だけじゃなく、アジアでもアフリカでも南米でも、どこの市場であっても通用すると思います。 そういう日本の商品の良さというものを根本に持ちながら、私が今までやってきたように、 とにかく現地へ行って、現地の人と話をして見極めるということを地道に繰り返しやっていくつもりです。
ゲスト
遠藤 宏治 (えんどう こうじ) 氏
KAIグループ 代表取締役社長
Koji Endo, Kai Corporation
1955年岐阜県関市生まれ。
1978年に大学卒業後、アメリカ留学を経て1980年に三和刃物(現・貝印)に入社。1986年に常務取締役・経営企画室長に就任後1988年にCI導入。1989年に代表取締役社長に就任。アメリカ、欧州、中国、ベトナム、インドなど世界的に生産、販売活動を拡大させた。1998年に世界初の3枚刃カミソリ「K-3」を発売。2000年に高級包丁「旬」を発売し、世界的にヒットさせる。
インタビュアー
森辺 一樹(もりべ かずき)
スパイダー・イニシアティブ株式会社 代表取締役社長
法政大学経営大学院イノベーション・マネジメント研究科 特任講師
Kazuki Moribe, SPYDER INITIATIVE
1974年生まれ。幼少期をシンガポールで過ごす。アメリカン・スクール卒。帰国後、法政大学経営学部を卒業し、大手医療機器メーカーに入社。2002年、中国・香港にて、新興国に特化した市場調査会社を創業し代表取締役社長に就任。2013年、市場調査会社を売却し、日本企業の海外販路構築を支援するスパイダー・イニシアティブ株式会社を設立。専門はグローバル・マーケティング。海外販路構築を強みとし、市場参入戦略やチャネル構築の支援を得意とする。大手を中心に17年で1,000社以上の新興国展開の支援実績を持つ。著書に、『「アジアで儲かる会社」に変わる30の方法』中経出版[KADOKAWA])、『わかりやすい現地に寄り添うアジアビジネスの教科書』白桃書房)などがある。