東:こんにちは。ナビゲーターの東忠男です。
森辺:こんにちは。森辺一樹です。
東:では森辺さん、引き続き傳田さんをお迎えしているんですけど、今日はどんな話から入りましょうか。
森辺:今日は、インテルがまだ小さかった頃のお話を踏まえて、日本企業がグローバルで勝つための条件っていうんですかね、そんなところでお話をしていきたいなというふうに思っていて、こんな質問をすると、インテル育ちの傳田さんに怒られちゃいそうな気がするんですけども、ずばり、傳田さん、いかがでしょう。
傳田:僕はインテルを辞めて10年以上経ちますが、まだ日本の会社がグローバル、グローバルと、そういうベースの話そのものっていうのが、僕から言わせたら、もう何十年も古いんじゃないですかと。だからそういう質問そのものに対して、僕は愚問だと、ナンセンスだと思うんですよね。われわれインテル自身っていうのは、そういうビジョンを持ちながら戦略という、こういうものをやりながら、その中で常に時代時代に、われわれの競争相手はいったい誰だと。しかも時代時代によって競争相手が違うんですよ。その競争相手の弱点と強みと、そこに対してわれわれはどういくべきかっていう、こういうことを私は何十年間やっとるわけですね。しかもインテルの組織っていうのは基本的には現地化なんです。グローバル化ってことは、日本の責任者は日本人なんです。ヨーロッパの責任者はヨーロッパ人。そういうことで、ジオグラフィーといいますか、最初から多様性を持ったチームですね。それをやりながらマーケティングを、ちゃんとした戦略をつくってマーケティングやりますから、勝つための戦略っていうのを考え方っていうのをわれわれは徹底的に教育されているんですよ。
森辺:それが、100人のときからそうなわけじゃないですか。それで、日本の企業に100人くらいの中堅中小企業さんって、戦略ってそこまでやっぱりなくて、支援しててもよくわかるんですけどベンチマークとかってやってないんですよね、多くは。だからそこが全然違うなって、僕はなんで傳田さん、今回ゲストとしての出演をお願いしたかっていったら、40年前のインテル、まだ100人だった小さいインテルっていうのは、今の中堅中小企業、日本の中堅中小企業でもインテルだからできたんだってきっとあの人たちは言うと思うんですけどね、そうじゃなくて、そのときは中堅中小企業と同じだったんですよね、インテルもね。そのインテルからいろんなことを学んでほしいなと思って、傳田さんにお忙しい中、来ていただいたんですけど、本当になんか、その辺のお話をさらに深くしていっていただけるとありがたいなあと思っていて。
傳田:僕は基本的に、日本の会社にぜひ徹底的にやってほしいってことは、一つは多様性の人材ね。要はダイバーシティね。それから戦略っていう考え方ね。戦略っていうのは、基本的にターゲット、目標とするオブジェクティブが必要なんですよ。だからそれをちゃんとしてつくって、それに対して正しい戦略と実行であると。それからあとはもう人材の多様性をやることが、多分グローバルのマーケティングで一番大事なことじゃないかと。もう一つは、僕は自分でも異端児という、日本の価値観からいったら僕の考えていることは異端児かもわからない。その異端児を異端児として認める組織、それから世界中でその優秀な人材を取って、それを正しく評価するシステム、こういうことが僕は日本の会社が世界で通用して成功するための必須条件じゃないかと思いますね。
森辺:そうですね。いや、本当そうですよね。さっき言っていた、戦略なんですけど、多くの企業っていうのは、結構一部上場でも多いんですけど、アジアやるべきなんだっていうのは理解は当然していて、けどそこに対して具体的な目標を立てて、それに対して、今年何をやり、来年何をやり、再来年何をやりっていう、戦略自体が全くないっていうのはまさにそうで、それが中堅中小企業さんになるともっともっとそうで、結局3年経ったけどグローバル化しているかっていったら全くグローバル化してないっていうような企業さんって本当多くて、それは傳田さんがやってきたことを今、身をもってご説明されているんだと思うんですけど、本当そのとおりだなというふうに思いますね。
傳田:多分、僕の思うのには、企業としてそれをやるならば、しかも会社の中の価値観として、リスクを取ってもいいよと。できた人、やった人、実績をつくった人はそれなりの報酬を出しますという、こういう明確な指標が出てないために、世界で一生懸命働いて、いろんな多様性のある人材が来ても多分日本で働けないのは、そういうところに問題があると思うんですね。だからインテルがなんですごいのかというと、社内のバリュー、文化、バリューシステムっていうね、六つあるんですが、インテルの評価っていうのは、この六つしか評価しないんですよ。その中の一つが結果主義です。いわゆる、プロセスじゃないんです。もうインテルは10万人の、当時われわれがいた段階の社員はすべて結果ですよ。ということは結果を出さないと、自分の給料が上がらない、ボーナスが少ないということになるわけだから、お題目だけで終わったら、自分の身に降りかかるわけですよ。だから僕が有言実行っていうのは、言ったらやるという、絶対に結果を出すという、これが一つのインテルのバリューですね。で、結果を出すためには、今度は、誰もやったことのないことをやってもいい、リスクを取ってもいいっていうのがインテルのバリューにもう一つあるわけです。で、私はよく日本の企業で、こういう企業の幹部の人たちに講演することあるんですが、例えば「傳田さん、うちの社長もリスクを取ってもいいと言いますよ」って言うんで、じゃあ私は、「皆さん、だったらちゃんとリスクを取ってやりますか?」って言うと、ほとんどの人が下を向いちゃうんですね。ということは多分、お題目で誰かがリスクを取って左遷されたか何かのそういうことがあったために、みんなが信じてないこともあるんじゃないかと。そのためにお題目で終わるケースが多いんじゃないかと。だからインテルは100%バリューでしか評価しませんから、結果出したら絶対評価されますよ。しかも評価も360度評価です。
森辺:そのリスクなんですけどね、アジアとか日本以外の海外で事業するってまさに一つ会社をつくっていくっていう、創業と一緒だって、これは明治大の大石教授も言っていたんですけどね、僕もそれはすごくそう思っていて、けど起業とか、ベンチャー企業立ち上げるとかって、リスクの連続じゃないですか。そうすると、アジアで事業やろうと思うと、そのリスクの連続にどうやって対応していくか、マネージしていくかみたいな話になってくると思うんですけどね、それを会社としてやっぱり取れないとすると、なかなかアジアの事業って、やろうっていう人たちがいないですよね。アジアって、80年代に一回やった、だめだった、90年代にまたやった、2000年代にまたやった、みたいな、出戻りっていう企業さんって結構多くて、その前にやって失敗した人たちが社内で戻ってきて、死んでっいている。要はその失敗した経験が次に活かされてないっていう、そういう仕組み自体がなんか僕はすごくよくないなあっていうふうに感じたりするんで、そのリスクの話はすごく賛成ですね。
傳田:例えばインテルは、僕らみたいな日本のオフィスの人間でも、言いたいことやりたいこと、声を大きくして、モバイルの事業は日本に持ってこいとか、要は本社主導じゃないんですね。だからできるだけ現地に任せて、現地の声を聞くっていう、こういうちゃんとした組織じゃないと、すべて発信は本社から、しかもこれからのアジアが重要だって言いながら、製品の規格から販売のプランまで本社でつくっているなんてのは、多分ないんじゃないですか?
森辺:だから現地適合化がしっかりされていて、ローカライズってのはまさにそういうことですよね。アメリカの会社が日本に来て、日本ベースで「Intel In It」とか「Intel Inside」が始まって、日本をベースにノートパソコンや何やがやって、だから全部現地だと。で、それが世界標準になっていったりっていう、そういう話ですもんね。だからそういう会社がやっぱり増えないといけなくて、結局、うちは現地適合化できているとかって言うんですけど、それは適合までいってなくて、適応でとどまっている会社って結構いっぱいあるんですよね。いやいや、うちは現地人を幹部に据えていると言っときながら、実は本当の重要なポジションにはあんまりいなかったりとか、そういうケースっていうのはやっぱり多いので、それはすごく学べることが、本当にこの傳田さんのいた、傳田さんがつくっていったこの40年前のインテルには日本企業が学ぶことがすごくたくさんあるなあと、改めて今実感していますけどもね。で、そんなところでもう少しお話をお聞かせいただきたいんですけど、さっきの質問に戻るんですけど、グローバルで勝つための条件をもっとさらに深く掘っていくと、ベンチマークっていうお話があったと思うんですけど、インテルのベンチマークについて、当時からのお話を含めて、教えていただいてもいいですか。どんなふうにベンチマークをして、いわゆる競合というものをどう捉えていたのかっていうところから。
傳田:例えば、インテルができた頃、70年代終わりから80年っていうのは、日本の半導体メーカーがやっぱり世界で一番ですよね。で、インテルはできたばっかりじゃないですか。そういう意味で、インテル自身は日本の半導体メーカーそのものをあらゆる機会というか情報を、もちろんスパイを入れるわけじゃないですが、いいところを調べるわけですね。その中でインテルがやった一つ、非常に大きなデシジョンがあるんですよ。実は1980年代の、ちょっと日にちは忘れましたけど、東北大学の大見(忠弘)教授という有名な先生が、ちょうど半導体をつくるクリーンルーム案に対する論文を出して、当時日本の会社が世界で本当に大きな会社、地位持っているにもかかわらず、日本の会社はその論文を見向きもしなかったんですね。で、それをインテルが見て、その大見先生をコンサルティングとして、インテルがこの論文の証明をしたんですよ。自分でお金も、インテルはかなり莫大なお金を払って、実証試験を、インテルのサンタクララに工場つくったんですよ。で、そうやって、やっぱり日本の会社が一番進んでいる中で、インテルが先に行くためには、やっぱりテクノロジーでもすべてにおいて、日本のやっているものの後追いじゃだめですよね。ということは、少なくとも最先端のものをリスクを取っていっていう、少なくともインテルにはリスクを取るっていう文化ありますから、その論文をみて、ぜひこれはインテルとしてやりたいと。で私が80年代に、僕がアメリカ行きますと、「傳田さん、今大見先生が来ているよ」と。「いやもう、お金がかかる」と言っているんだけど、それを成し遂げて、インテルが実証したんですよ。それからやっぱり逆転現象が起こるわけですね。だからそういう、現象っていう部分があるわけだから、ただ他人のまねをするんじゃなくて、自分で何かするっていう行動を起こすってことは、すべてがリスクにいくんですよ。そのリスクをどうやってマネージするか。だからリスクを暴挙にいかないで、リスクってのをある意味でマネージメントしなくちゃ、リスクヘッジもしなくちゃいけない、うまくいく場合と。だからそこをどうやって見切りをするかっていうのは、トップの資質ですよね。だからそれはトップだけじゃなくて、われわれいろんな役員の連中がいろんなテーマを考えながらやっていきますから、会社として方向がみんな同じくなんですよ、考え方が。だからみんなリスク取っていく。だからそういう例はインテル、いっぱいありますよ。インテル自身が、話逸れますが、中央研究所がないというね。世界一の会社で中央研究所がないんですよ。だからそういうところも多分ほかの会社と全く違う、そのオペレーションデスクがね。それなりの戦略があるわけですね。だから例えば、大見先生が出した論文なんかもちゃんとインテルの社内で精査するところがあるわけです。
森辺:なるほどね。だからインテルっていうのは、生まれたときからすごく特殊というか、すごく、もの、メーカーでありながらもマーケティングという領域に対する深い理解と、重要性、それに応じた企業経営をやるという、そういう組織っていう話ですよね。
傳田:ただ、70年代にできた頃は、やっぱりインテルはテクノロジー、サイエンス、これがNo.1ですから、いいものをつくったら売れるっていうベースもあったんですよ、もちろん。
森辺:それ、変わってったっていうことですよね。
傳田:変わってくんですよ。お客さんの声、それからもう一つはマーケティングがいかに大事かっていうことを、やっぱりトップが、変わってくっていう、このすばらしい能力ね。なんて言うかね、これでやれっていうだけじゃないんですよね。だからある意味では変える。だから僕のインテル、いつも言っているのは、インテルは10年ごとにインテルの戦略を変えるんですよ。だから70年代は半導体のインテルだった。80年代はマイクロコンピューターのインテル、90年代はネットワークのインテルなんですよ。ですからもう半導体のインテルなんていうのは、もう初期でおしまいなんですよ。それで、全部その当時に合わせて組織も変わるし、それから上のマネージメントの再教育もやるんですよ。だから僕なんかも、インテルで毎年幹部が集まって教育のトレーニングがあるわけね。朝早くから夜中まで、1週間、10日。それで私自身が非常に一つの例として、1985年にハーバードのクリステンセン教授、あの人が『イノベーションのジレンマ Innovator's Dilemma』っていう本、有名ですよね。あの、出したときに、そのときに一番最初にインテルに、アンディ・グローブに招聘されて、僕らアッパーマネージ、いわゆる上級のマネージメントがその先生から受けたんですよ、ディスラプティブテクノロジーとか。だから僕は一番最初の本、持っていますよ。『イノベーションのジレンマ』っていう、クリステンセン教授の。だから教育と、それからあらゆるレベルで社員のレベルを上げてくっていう会社の戦略、その中にちゃんとバリューがあって、それからその流れの中にはリスクを取ってもいいとか、全体的な欠けてはいけないものがやっぱりインテルにはあるんですよ。だから僕なんか若造でやりながら、ありとあらゆることやりまして、僕はアメリカから、おまえはやり過ぎだと言われたことないですもん。だから考えられることは全部やるし。
森辺:なるほどね。僕は今のインテルにはあんまり興味はないんですけどね、傳田さんがいたときのインテルが本当面白くて、それを本当、日本の多くの企業に知っていただきたいって、本当、そういうふうに思うんですよね。で、ちょっとご紹介ですけど、傳田さんが書いた本が『インテルがまだ小さかった頃』というのと、『世界標準で考える』っていうのがありますんで、もしリスナーの皆様、ご興味のある方がいたらぜひ読んでみてください。非常に面白い本になっています。じゃあ傳田さん、今日で最後ですけども、もうあと時間ももうまもなくですが、東さん、何かありますか。大丈夫ですか?
東:最後に一つだけ、アンディ・グローブさんって結構有名じゃないですか、日本で。やっぱり一緒にやられたと思うんですけど。
傳田:怖い人ですよ。だけどやっぱり、めちゃくちゃデシジョン、決断早いし、それから一番僕はすごいなと思うのは、役員会が喧々囂々と議論をする場なんですよ。だから上司に対して私は反対だと、ディスアグリーという人もいるわけね。それはインテルとしていいことなんですよね。だから私なんか当初黙っていると、要は何も発言しない人間はここにいる価値がないとなるわけじゃないですか。だからそういう意味で、やっぱり多様性のインテルで、いろんな人がいる中で、やっぱり自分の意見をもつ、それから発現するという、これが非常に大事です。アンディ・グローブが、対して反対っていう人たちもいっぱいいましたよ。だけどそれはそれとして、その会議の中でおしまいですから。
森辺:そこ重要ですよね。そこの会議でアメリカはおしまいにしてくれるけど、日本の取締役会で反対意見出したら、おしまいと言いつつも絶対におしまいにならないじゃないですか。
傳田:だから私も、役員会で僕は自分でこういうビジネスをやりたいっていう提案もしたことありますよ。ところがもう、すべての人から反対をされましてね。そういうこともあります。だけど私は自分の提案したプロジェクトは、絶対、これは将来インテルのために必要だと思ったんですけどね。それは、話していいですか、1990年の始め頃からゲーム、その頃はまだネットにつながっていませんからオフラインで、このゲームっていうのに、僕はいずれは絶対マイクロプロセッサ並みのすばらしい性能の製品がいずれ使われるだろうと。その結果、多分将来リビングルームっていうのは、大型の画面の中でパソコンが主流になるか、ゲームが主流になるかという、多分時代が来るだろうと。ということで、僕は1990年の始めにセガと僕でインテルの32ビットのプロセッサをそのゲームに、コンソールに入れたいということで、僕はアメリカの役員会で提案したんですよ。そうしたらものの見事に、すべての人から怒られました。しかも1000円から1500円ぐらいで売ろうと思ったんですが、当時まだ1万円以上していた製品を10分の1以下で。「なんでこんなところに売らなくちゃいけないのか」と言われましたけど、僕は僕なりに、これは絶対に重要な一つのエレメントになると、ゲームというのが。まさしく今、ゲームっていったって、ただのゲームじゃないですよね。だから僕は、すべての人から反対されましたけど、僕は自分で自分の意見を述べたということで、今からみれば、正しかったかと思います。
森辺:そりゃあ重要ですね。意見を述べるっていうのと、さっきの、前回のお話でもありましたけど、目的をね、会議のの話と。なるほどなるほど。わかりました。じゃあ傳田さん、本当にどうも、3回に及びお越しいただきありがとうございました。また機会がありましたらぜひお願いしたいと思いますので、今後ともどうぞよろしくお願いします。
傳田:はい、よろしくお願いします。今回はありがとうございました。