東:こんにちは。ナビゲーターの東忠男です。
森辺:こんにちは。森辺一樹です。
東:森辺さん、今日はすてきなゲストをお迎えしてるんですけど、まずご紹介いただいてもよろしいでしょうか。
森辺:ええ。今日のゲストは電通北京の岡崎さんをお招きしております。岡崎さん、どうぞよろしくお願いします。
東:よろしくお願いします。
岡崎:よろしくお願いします。岡崎です。
森辺:では、最初に簡単に、ナビゲーターの東のほうから岡崎さんのプロフィールをちょっとご紹介お願いします。
東:岡崎さんは、北京電通広告のエグゼクティブ・ブランドコンサルタント第二事業本部本部長、ブランドクリエーションセンターセンター長でございます。岡崎茂生様といわれます。学歴としては、1981年東京大学教育学部卒業、1989年ピッツバーグ大学経営大学院MBA取得。職歴としましては、1982年に電通に入社しておりまして、2006年より北京に駐在。30年以上に及ぶ国内外クライアントの広告・マーケティング領域での実務経験をベースに、中国企業をはじめアメリカ、韓国、タイ、日本企業などを対象にブランド戦略コンサルティングとブランドコミュニケーションを事業展開。同時にアジア各国及びアメリカの大学、大学院でのブランド講座・公開セミナー、フォーラムでのスピーチ、雑誌連載など多数実施中。ということで、非常にすばらしい方をお迎えしてるんですけど。
森辺:今も北京に駐在をしておって、ちょうど岡﨑さん、7年強?
岡崎:そうですね。2006年の3月31日に北京に赴任しまして、ちょうど北京オリンピックを1年ちょっと後に控えた時期ですね。
森辺:一番いい時期ですよね。
岡崎:それであっという間にもう7年4カ月、5カ月経ってしまいましたね。
森辺:今プロフィールご紹介させていただいたんですけど、北京に駐在をしてから今に至るまでの、どんなお仕事をされて、どんなふうなことを今までやってきたのか、そんなところを中心にご紹介を簡単にしていただけるとありがたいんですが。
岡崎:はい。北京電通というのは、電通の、中国におけるたくさんある現地広告代理店の一つなんですが、まあ最大の拠点です。北京が本拠地で上海、広州に支店がありまして、全部で、社員でいうと1200名ぐらいですね。中国では最大規模の広告会社です。その中で、私がやってまいりました、一つは、広告マンですから広告営業ですね。日本のクライアント、中国のクライアント、あるいはアメリカのクライアントに対して、広告の戦略ですとかクリエイティブ政策ですとか、メディアプランニング、メディアバイ、それからイベントセールスプロモーション、PR、そういう広告周りのサービスを提供してお金をいただくと。いわゆる広告の実務と、それに加えて、私は電通でブランドのオーディットと申しますか、ブランド価値のメジャーメントですよね。ブランド価値を測定するソフトウェアなどの開発にも携わっておりまして、いわゆるブランドコンサルティングビジネス等を少しやってました。それを中国でもビジネス化できないかということで、通常の広告営業に加えてブランドクリエーションセンターという名前で、これはもともと東京本社にあった組織の名前をそのまま借りてやったんですけれども、中国企業、グローバル企業相手にブランド戦略のコンサルティングを提供して、それをいわゆるコンサルティングビジネスとしてフィーをいただくと、その両方をやってきました。その実務をやりながら、いろんな大学とか、あるいは中国はいろんなフォーラムとかセミナー、カンファレンスの類も多いですから、そういうところでもスピーチをしたり教えたりということをやってました。
森辺:岡﨑さんの資料を見ると、いろんな講師だったり教授をやられていて、海外ですと深センとか清華がそうですし、ハワイもそうなんですかね。タイもそうですよね。
岡崎:そうですね。10カ国、わかりにくいかもしれないですけども、結構いろんなところでやらせてもらってます。中国の国内では清華大学や北京大学、あるいは上海の復旦大学のようなトップレベルの大学でセミナーをやってますし、あるいは、中国はアメリカ型と言いますか、各地にいい大学がたくさんあるんですね。ですからその中で例えば山東省の山東大学ですとか、湖南省の湖南大学であるとか、あとは南京ですね、南京大学、などでは一応客員教授というタイトルもいただいてまして、ハワイは、ハワイ大学のビジネススクールが毎年アジアツアーをやってるんですね。これはEMBAですね、エグゼクティブ向けのコースが韓国、中国、ベトナム、タイあたりを回って、各企業に行って話を聞くというようなツアーをやってます。残念ながら日本が入ってないと、これ問題なんですが、そこで何度か講演をやって、その縁で2010年でしたか、ハワイ大学に招聘されて約1週間、ワイキキビーチの、なんかちょっと山へ登ったほうですね、ハワイ大学のビジネススクールで教えるということもやってきました。あとはタイのチュラロンコン大学ですね。そこでもマーケティング学科で半年ぐらい教えましたかね。
森辺:日本の大学でもいろんな講演、セミナー、それから講師もやられてるんですね。
岡崎:そうですね。ただまあ、最近は基本的に中国におりましたので、やっぱり中国、アジア中心に発信していたんですが、しかし自分なりに反省するところがあって、曲がりなりにもブランド戦略を教えると。これ、外国で教えていていいのかと。やっぱり日本でどれだけお役に立てるかどうかわかりませんけれども、日本の方にもぜひそのグローバルなブランド戦略というのを知っていただきたいと反省しまして、2、3年前ぐらいからチャンスをいただくたびに日本でも少しセミナーなどを始めたい、あるいはウェブ上でコラム書いたりと、そういうことを始めてます。
森辺:ちょうどコラムの連載だと、東洋経済さんの。
東:そうですね。東洋経済オンラインで書かれてますね。
岡崎:ええ、そうなんです。これはちょうどご縁があって、多分前回出演された山本学さんからご紹介をいただいて、東洋経済オンラインがちょうど昨年の11月ですかね、佐々木さんという若いすばらしい編集長を迎えてリニューアルをして、ちょうどたまたまそのタイミングで私も連載を、ページを持つことができて、2週間に一度、中国で仕事をしている広告マン、ブランドコンサルタントが現地から実際に、ケースとともに、事例とともにブランド戦略をいくという切り口で、既に20回ぐらい連載してます。
東:タイトルもすてきで、『中国人の心を掴むブランドの創り方』と。
森辺:面白そうですね。
岡崎:これも、東洋経済オンラインのお知恵をかりながら、まあタイトル、編集長、佐々木さんの編集はすばらしいんで、作った。
東:なんか思わずクリックしてしまいたくなるような(笑)。
岡崎:ええ、実際、東洋経済オンラインは今、非常にページビューが多いようで。
森辺:ものすごい数「いいね」押されてますもんね。この連載、今回の岡崎さんの収録、4回ぐらいやらせていただく予定なので、その中で連載の中でのお話をまたぜひやっていきたいなあと思っていて。ちょうど、岡崎さんは『チーフ・ブランド・オフィサー』という中国の雑誌の表紙にもなってまして、これはなかなか日本人で中国の雑誌の表紙で特集組まれるっていうのは、なかなかないと思うんですけど、私も見てびっくりをしたんですが、そんなご活躍もされていて、中国のメディアでも非常に注目をされている方です、というのがご紹介ですね。あと、『チャイナズ・ダイジェスト』ですかね。これも特集か何かなんですかね、岡崎さん、これ?
岡崎:いや、これはですね、もともとは違う雑誌のインタビュー記事で出たんですね。それは中国新聞週刊というニュースウイークみたいなものですね。中国は面白いんですが、基本的にメディア間での転載というのはフリーでできるんです。ですからちょっと面白い記事だと思うと瞬く間に転載されていく。で、もちろん今オンラインの時代ですからオンラインメディアでどーっと連載されていくんであっという間に広まりますね。だからいいニュースもそうですけど、特に悪いニュースとか広がりがすごいんですね。これはちょっと面白い彼らのメディア文化、特徴ですね。
森辺:そうですね。転載が自由にできるって日本じゃあり得ない。
岡崎:あり得ないですよ。私も一応広告の仕事をしてますから、そうやって情報を広げることの難しさというのはわかっておりますけれども、中国はある意味うらやましいんですけれども、勝手に転載してよしと。
森辺:なんか、コピーがあんだけたくさん広がるっていうのも、何となくわかる気がしますね。
岡崎:そうですね。まあもちろん、著作権の問題は、特にグローバルにまたがる著作権に関してはきちっとルール通りやっていただきたいと思いますけれども、でもまあ本来情報っていうのは、公にして多くの人に読んでもらってなんぼというものですから、広がるっていう仕組みがあるのはいいことだなと思いますけどね。
森辺:岡崎さん、7年強、一番いい時期に北京にいらっしゃって、目覚ましく変わる北京の様子っていうのを肌で実感されながらお仕事を今までしてきたと思うんですけども、リスナーの方の中にはまだ北京に行ったことない方もいらっしゃれば、実際に北京で仕事をしてる方まで、いろいろ幅広いリスナーの方いらっしゃると思うんですけど、岡崎さんが過ごした北京の7年間ってどんな感じだったんですかね。
岡崎:私も正直言って、2006年3月、その数カ月前に北京に行ってくれって言われたときはもう嫌で嫌でしょうがなかったんですよね。やっぱりイメージが、リスナーの皆さんもそういうイメージをお持ちの方が多いと思うんですけれども、上海はいいんです。上海っていうのは以前から国際化されていて、徐々に発展してきていて、非常に経済的にも文化的にも発展していて、人々も割と開明的というか、現代的であると。だけどやっぱり北京っていうのは私もほとんど行ったことがなくて、2、3回それで行っただけで、イメージがやっぱり共産党のお膝元、人民解放軍、公安警察。なんか北朝鮮みたいな雰囲気の部分もありましたしね、人民服来て自転車で乗って、片側6車線の道が全部自転車で埋まってるっていうような映像を見ておりましたので。しかも寒いと。冬はやっぱりマイナス10度、15度になりますからね。あんまりいいイメージはなかったんですよ。でもまあ、せっかくいただいたチャンスなので、会社からもらったチャンスなんで、行ってやってみたら、これが面白いと。まあたまたま、今、森辺さんおっしゃったように、2006年から、一つは2008年のオリンピックですよね。に向けて非常に町が発展して。それはビルが建つとか車が増えるとか、要するに新しいもので町が溢れかえるわけですから、いわゆる、見かけの部分の発展っていうのも確かに大きいんですけれども、私が一番感じたのはやっぱり、人々の暮らしの変化、それから価値観とか考え方の変化ですよね。だからそれこそ、10年、15年前までは非常に質素な暮らしをして、例えば女性で言うと、化粧はしない、髪の毛は染めない、真っ黒で、基本的に髪の毛は長く伸ばすと。それをわれわれは一本縛りと呼んでるんですが、後ろで一本に束ねて。で、ジーンズを履いてると、ズボン履いてると、いう時代から、もう今、髪の毛染めてない人のほうが少ないですよね。お化粧もするし、ファッショナブルになって、きれいな洋服にカバンも持ち靴も履き、車を運転し、ですね。要するにこの短期間にここまでキャッチアップしてしまう中国の人々の適応力というのに本当びっくりですよと。それとともにやっぱり伝統的な価値観が崩れていく、どんどん物質偏重になっていって、人間関係もドライになっていく。そういう様子を見ていて、経済発展のプラスの面とマイナスの面と、もう如実に見て取れますね。
森辺:そうですよね。ちょうど私が向こうで一番最初に起こした会社が2002年だったんですね。で、初めて中国に行ったのが1990年代だったんですけど、そのときってなんか北京ってすごく共産チックで、歩いてるだけでちょっと怖さがあって、町の人たちの服装が黒か灰色なんですよ。で、皆さんの顔が、笑顔がないんですよ。暗い顔してて、空も曇ってて、なんて嫌な国なんだろう、都市なんだろうって思ったんですね。それが2000年代前半、中盤ぐらいからどんどんどんどん町が鮮やかになってって、ビルがどんどん建って、人がどんどん笑顔になってって、服装が黒、灰色から、赤やオレンジや緑や黄色やってこう、カラフルに町が見えるようになってきて、それで僕はすごく中国のマーケットに吸い込まれましてね。ものすごく変わったなあと思って。で、当時2006年とかっていうと経済成長が9%、10%とかって、そういう一番いいときだったので、10%の経済成長ってこういうことかと。日本では絶対に見えない世界じゃないですか。だからすごく感動したっていう覚えがあるんですよね。
岡崎:おっしゃるとおりですね。それは、東南アジアなんかでも経済発展してるんですけれども、日本も含めて普通は20年とか30年のスパンで起こることなんですね。それが本当に4年、5年で起こってしまったと。例えば、私2006年に行った頃には、まだ週末には町の通りに電話屋さんっていうのが出たんです。それは日本でも、古い話しちゃいますけど、昔ピンク電話ってあったでしょ(笑)。共同電話っていうのがあったんですが、要するに田舎から北京に出稼ぎに来てる人が小銭を握りしめて、町の電話屋さんに行って、長距離電話をかけて、家族に元気でやってるかと。私は元気だよと。それがあっという間に携帯になり、今モバイル、スマートフォンですね。スマートフォンが若い人たちの間では9割以上がスマートフォン使ってると。iPhone比率も非常に高いし、もちろんサムスン、ギャラクシーも使われてる、レノボも出してる。ということで、しかもそこにソーシャルネットワークサービスも入ってきて、向こうではいわゆる微博(ウェイボー)っていわれるマイクロブロッギング、それから微信(ウェイシン)っていうやつですね。これはFacebookとLINEと足して2で割ったようなもの、そういうものを使いこなしていると。これがほんの5年ぐらいで起こってるわけですよ。これは本当にめくるめく世界ですね。
森辺:そうですね。Appleショップが確か北京にできたときに、僕はあれ見て、まだ早いでしょっていう思いがあったんですけど、まあそんなことはなく、毎日混雑してね。ものすごいなあと思ってて。ブランドですか、ルイヴィトンだ、エルメスだ、何だらっていっぱいできてきて、まだ早いでしょなんて思ってたら全然そんなことはなくて、あっという間の成長だったなあって。
岡崎:そうですね。多分2000年代、2005年ぐらいまでは中国でルイヴィトンだ、エルメスだっていうと、ほとんど偽物だろうと。今偽物なんか恥ずかしくて持てませんよ。もちろんまだコピー商品っていうのはありますし、持ってる人もいますけれども、かなりの人は実際本物を持ってますし、以前は例えば香港行って買うと。今はヨーロッパですよね。ですから日本は以前、日本人がパリのルイヴィトンの店に殺到して嫌がられるっていうようなことがニュースになった時代もあったんですが、あれのもっと大規模な現象がヨーロッパで起きていると。まとめ買いするんですよ、あの方たちは。
森辺:そう、日本人と全然違って。ヨーロッパなんか行くと、日本人が入ってくると、「あら、お財布?キーホルダー?」みたいな話なんですけど、バッグを、一個ならまだわかるんですけど、「あなた3個も要らないでしょ」っていうのを両手に担いで買って帰ってね。
岡崎:これはですね、なんでまとめ買いするかというと、これはやっぱり中国社会の特徴なんですが、お土産なんですよね。家族、親戚、友達におみやげを持って帰らなければいけないと。配らなければいけない。ですから中国人必死なんですよ。ちょっと安めの、例えば一つ2、3万ぐらいのものだと10個ぐらい買いますよね。だからアメリカ行くとCOACHのバッグっていうのが非常に人気なんですね。あれ幾らぐらいですか、4、5万ぐらいですかね。それこそ10個ぐらい買って、持って帰って配るんですね。だから大変なんですよ、中国の方は。
森辺:そうですよね。だからそんな時期に、一番いい時期に中国にいらっしゃったという、そんな岡﨑茂生さんですが、今回はもうそろそろ時間なのであれですけども、第2回、第3回と、引き続き岡崎さんの専門とするブランド、ブランディング、マーケティングというようなところで、ちょっとお話をお聞きできればと思っておりますので、岡崎さん、どうぞよろしくお願いいたします。
岡崎:はい、こちらこそよろしくお願いします。