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【連載】日本企業とグローバル・マーケティング

本コラムは、日本企業とグローバル・マーケティングを様々な観点で捉え、日本企業がグローバル市場で高いパフォーマンスを上げるための方策を具体的に指南する連載シリーズです。


Vol.4 世界が求める製品の裏側には何があるのか

著者:森辺 一樹
スパイダー・イニシアティブ株式会社 代表取締役社長

「機能」と「品質」は価値の中心にはならない

グローバル市場で購買の決め手となるものは一体なんなのか。このことをしっかりと理解してグローバル市場に展開すれば、日本の消費財メーカーにありがちな想定外に売れずに立ち尽くし、展開してからその要因と対策を考え直すという経済的ロスは大幅に軽減できます。間違いなく言えることは、「Made in Japan(日本製や日本企業製)」には、かつて程の価値はないということです。

欧米企業も中国企業も、もはや機能や品質は購買の決め手にはならないということをしっかりと理解しています。したがって彼らは自分たちの価値の中心に機能や品質を置いていません。では何が彼らの価値の中心にあるのでしょうか。

ブランド力の欧米、安さの中国

まず欧米企業について見ていきましょう。ここでは欧米をアメリカ、ドイツ、イタリア、フランス、イギリスの5カ国と定義します。勿論、これら5カ国はそれぞれに特徴があり、十把一絡げにするのはどうかと思いますが、ここでは分かり易くするために敢えてひとまとめにします。結論から先に申し上げると、彼ら欧米企業は、価値の中心に“ブランド力”を置いています。もちろん機能や品質が大切だということは承知していますから、それらを向上させる努力は企業として怠りません。しかし無闇矢鱈と機能や品質を高めていっても、購買の決定打とはならないということも同時に理解しているのです。それも踏まえた上で、ブランド力という付加価値を重要視しているのです。

一方で中国は、価値の中心に“価格の安さ”を置いています。機能と品質をなおざりにしているわけではありません。一昔前、多くの中国製品は「安かろう悪かろう」と揶揄されていました。しかし、今ではその概念は最早古く、「Made in China」だとしても他国に引けを取らない製品は多々存在します。寧ろ、多くのモノは「Made in China」が当たり前という世界の常識まで作り上げてしまいました。そのような中国製品の特徴は、市場が求める最低限の機能と品質にとどめるということ。オーバースペックやオーバークオリティには向かわず、絶対的に価格を抑えることでグローバル市場においての立ち位置を確立したのです。その結果、中国企業は良いモノを安く作るということで、世界の市場では多くのモノが中国製にとってかわりました。正に、かつての日本企業のようです。

高嶺の花への憧れと、低価格という魅力

欧米企業が作る製品は、ドリームプロダクトと呼ばれる製品が多く存在します。ドリームプロダクトとは、人々が憧れて夢に見るくらい欲しいと思うような商品のことです。代表的なものは新製品が発売されるたびに徹夜で行列が作られるアップルのiPhoneやMacでしょう。家電だとダイソンやミーレ、デロンギなどでしょうか。家具ではカッシーナやB&Bなどが有名です。革製品やアパレルでいえば、エルメスやルイ・ヴィトン、シャネルなどのハイブランド品が挙げられます。車ならフェラーリやランボルギーニ、ロールスロイスに憧れる人は世界中にいます。欧米のブランドは多岐にわたっており、羅列していくときりがありません。

また特に、米国企業は、最先端のテクノロジーとイノベーションを駆使したブランディングに強く、欧州企業は、長い歴史と伝統から生まれるクラフトマンシッップを押し出したブランディングに強い特徴があります。いずれにしても、このように欧米企業はいかなる分野においても“ブランド力”というキーワードを大切にしています。それによってグローバル市場での競争力を維持しているのです。したがってどのような産業であっても、欧米企業が作り出すものはドリームプロダクトの領域に当てはまっているのです。

対して中国企業は、いち早くコモディティ化に注目しました。コモディティ化とは消費者が価格の安さで製品を選ぶようになることを言います。かつては性能や品質、そしてデザインなどそれぞれの商品ごとに異なる個性や特徴がありました。しかし今ではIT化が進み技術の共有が容易になったこと、製品の大量生産が可能となったことなどが影響し、製品格差がほぼ消滅しています。特に家電業界では、メーカーはたくさんあれ同じような機能、性能そして品質の製品があふれかえっています。その結果、このような分野では、多くの消費者、特に大多数を占める中間層が製品を選ぶ決め手は価格となったのです。商品価値の中心に安さを置くことにより、中国企業は中間層をターゲットとしたコモディティの分野において世界を席巻していきました。

ブランド力で性能が勝るクオーツに立ち向かった機械式時計

昔から欧米にブランドが存在したわけではありません。1969年、日本の時計メーカーであるセイコーが電池式のクオーツ時計を発売しました。これはスイスの機械式時計業界に衝撃を与えました。クオーツ式時計はゼンマイを巻く手間がかからず、時計としての性能も機械式より上だったからです。クオーツ式時計は瞬く間に世界中に安く流通するようになりました。

そこで困ったのは機械式時計の職人たちです。高い技術を持ち、素晴らしい機械式時計を生み出すことはできるものの、時計を機能だけで見たら安価なクオーツ式にはかないません。瀕死の機械式時計業界を尻目に、日本企業はデジタル式のクオーツ時計を開発するなど飛ぶ鳥を落とす勢いで活躍していました。一方、9万人居た機械式時計の職人たちは、10年間で3万人まで激減しました。そして残った職人たちは今まで通り機械式時計を製造しつつ打開策を見つけ出すか、クオーツ式時計作りに転換するかの瀬戸際に立たされていたのです。

そこで機械式時計を愛する職人たちは、機械らしさを全面に押し出すことにしました。時計としての正確さはクオーツ式のほうが明らかに上です。それならば機械式時計の特徴である複雑な機構の美しさや、脈々と受け継がれてきた工芸品としての価値で勝負しようと思い至ったのです。そしてクオーツ式には目もくれず、職人たちは黙々と機械式時計の製造、販売だけに注力しました。その結果、機械式時計は華麗なる復活を遂げたのです。現在でも男性用の高級時計というと機械式時計です。何百年もの機械式時計の歴史を重視し、クラフトマンシップを大切にしたスイスの機械式時計メーカー。ブランド化に向けて多大なる投資をしていった結果、パテック・フィリップやヴァシュロン・コンスタンタン、オーデマ・ピゲなど、知る人ぞ知る超高級な世界3大時計メーカーへと成長していきました。基本的には全ての時計は数百万円からという値段が付けられ、中には数千万円や、数億円もの価格の時計もあり、それらは投資対象としても高く評価されています。現ロシア大統領であるウラジーミル・プーチン氏や俳優のブラッド・ピット氏、レオナルド・ディカプリオ氏など、多数の著名人もパテック・フリップなどの機械式時計を愛用しています。

誰にも買われないのは「中途半端」だから

海外では、エルメスやルイ・ヴィトンなど多数の革製品ブランドが存在します。食器に目を向けてみてもロイヤルコペンハーゲン、ウェッジウッド、バカラなど王室御用達や超高級として人気の陶磁器ブランドは珍しくありません。日本にもたくさんの職人が居ます。百貨店を見ると、革職人が手作りしたメイド・イン・ジャパンのバッグが高値で販売されていますし、食器売場には美濃焼、砥部焼、伊万里焼など美しい和食器が並んでいます。しかし日本では職人芸のままとどまってしまい、それがブランドにまで昇華されていません。

単純に技術だけを比較すると、日本の革職人や陶磁器職人のほうが精密で繊細な製品を作り上げられるかもしれません。しかし世界的にはエルメスのバックの方が圧倒的に高い人気を誇りますし、またお祝い品として選ばれるのはバカラだったりします。それほどまでにブランドというものには人々を魅了する力があるのです。

もちろんブランドにはそれに見合うだけの価値も詰まっています。例えばエルメスの革製品は厳選した素材を使用し、最初から最後まですべての工程を1人の職人が担当するスタイルを取っています。そしてそれぞれの製品にはシリアルナンバーが振られていて、製品の修理を依頼されたとき、エルメスはシリアルナンバーを元に作成時の職人を探し出します。そして修理までもが同じ職人の担当となるのです。そこまでアフターフォローがしっかりしているからこそ、エルメスの革製品は数百万円しても世界中の人から愛されているのです。また凄まじいのは、中古市場でも値が安定しているということです。つまりは、リセールバリューが高いということです。ブランド力のある製品は、中古市場でもその価値を維持し続けるのです。中には、中古でも定価以上の価値を出す革製品まで存在します。

では日本の革製品はどうでしょうか。素材は厳選されていますし、職人の腕も抜群です。修理体制もしっかり整えられています。しかし、数百万円では誰も買いません。精々、数万円から十万円台が関の山です。それ以上出しても欲しいと思われる程のブランド力はありません。中古市場に出れば、粗無価値でしょう。

世の中には、数千円から1万円程度で買える安い革製品も存在します。本物の価値に拘る世界の富裕層はエルメスを選びます。しかし、そうでない世界の中間層の人々は、ブランド力もリセールバリューもない割に価格だけが中途半端に高い日本の革製品を選ぶより、もっと手軽に買える中国製で満足します。これは決して革製品だけのことではありません。一部の訪日観光客に人気のある分野や、ごく少数のジャパンフリーク(日本マニア)を除くと、ありとあらゆるものでこの現象が起こっています。アパレルでも、家電でも、自動車でも何にでもです。どの分野においても、必ず日本のメーカーが作る製品よりもブランド力が圧倒的に高いメーカーが欧米に存在し、機能や品質が然程変わらないのに価格が圧倒的に安いメーカーが中国に存在します。

世界の市場は、ハイブランドか、ファストファッションかに垣間見れる通り両極端なのです。富裕層はブランド力が伴った高価格帯のものを好み、中間層はとにかく最低限整っていれば良いというコモディティを選びます。日本のデパートブランドに代表されるような中途半端なブランド力で中途半端に高いモノは、相当な独自性がない限り選ばれにくい傾向にあるのです。

夢の跡地で立ちすくむ、どっちつかずの日本企業

プラザ合意以前の時代には、日本は欧米の製品を研究し、学び真似て多くのモノを製造していました。欧米よりもより安く、より小さく、より良く作ることで、製品をどんどん輸出していました。そのころ、日本はコモディティの代名詞となっていました。そこからしばらくして、日本がドリームプロダクトとして世界に君臨する時代がやってきます。ソニーがウォークマン、任天堂がファミリーコンピューター、ホンダがスクーターを世に送り出した時代です。ソニーのウォークマンは、音楽を持ち歩くという新しい価値を世界に広めました。任天堂は、家庭でテレビゲームが楽しめるという新しい価値を世界中に広めました。ホンダは、バイクは誰もが簡単に乗れるという新しい価値を世界中に広めました。そして、瞬く間にドリームプロダクトになったのです。

しかし今はどうでしょうか。ドリームプロダクトにもコモディティにも当てはまりません。日本企業はいったい誰をターゲットに、どこに向かっているのでしょうか。消費者はすでに機能も品質も求めていません。日本製品が高品質で高機能なのは自明の理ですが、今のポジショニングのままで本当に良いのでしょうか。これからの更なるグローバル競争を考えると、日本の消費財メーカーは、今一度、自分たちのポジショニングを考える必要があるのではないでしょうか。それができれば、日本企業は再びグローバル市場で大きな存在感を発揮することが可能です。これからの日本の消費財メーカーの反撃に大いに期待したいと思います。