コラム・対談 Columns
本コラムは、日本企業とグローバル・マーケティングを様々な観点で捉え、日本企業がグローバル市場で高いパフォーマンスを上げるための方策を具体的に指南する連載シリーズです。
Vol. 20 「R」で負け戦に出て行かずにすむ
著者:森辺 一樹
スパイダー・イニシアティブ株式会社 代表取締役社長
ダメなのはインプットが足りないから
「R」(Research)は最も基礎的な分析を行う手順なので、チャンスを見逃してしまうことを防げることはもちろん、「そもそも今、その国に出たほうがいいのか、出ないほうがいいのか」を見定めることもできます。日本企業の場合は、経済成長が高くなってきた、政治が安定した、競合が進出している、現地の財閥系企業と業務提携ができる、といった理由で海外進出を決めるパターンが多いのです。 経営企画室などが中心になって、トップですでに決まった意思決定を補足するための事業計画は作っても、それが実態に合っていないケースが往々にしてあり、失敗の憂き目を見ています。多くの日本企業の撤退に関する事例を分析すると、この程度のことはしっかりと「R」をやっておけば、出る前に気づけたはずなのに、というものが少なくありません。私は、過去20年程で3,000件程度のご相談を受けており、そのうち1,000件以上のご支援をさせていただきました。ご相談してくださる企業の99%は、これから新規で始める企業ではなく、すでに現地でビジネスをしているが苦戦しているという企業です。彼らの現状を可視化していくと、この「R」におけるインプットの量と 質、そして分析がまったく足りていません。「この程度の問題は、出る前から容易に想定できたのになぜ?」と言わざるを得ないレベルでつまずいているケースがほとんどです。例えば、FMCG(日用品)の場合だと、「ディストリビューター」(販売 店)が想定通り動かない」であったり、「中間層になかなか商品が浸透しない」であったり、「伝統小売(トラディショナル・トレード、Traditional Trade : TT)への配荷が進まない」「セルイン(店舗に置くこと)はしたがセルアウト(消費者に売れること)しない」「ディストリビューターや小売のマージンが高すぎる」、はたまた「競争環境がこんなに激しいとは想定していなかった」などです。
その他のB2C(企業と消費者の取引。文具や化粧品、アパレル、家電など)の業態でも、B2B(企業と企業の取引。部品や機器、設備など)の製造業でもおおよその課題は共通しています。いずれの企業もディストリビ ューション・チャネルに関する問題を必ず持っています。ではなぜ、こんなことが起きてしまうのでしょうか? それは、優れた戦略をアウトプットするためには、最低限のインプット が必要ですが、そのインプットを持ち合わせていないからなのです。多くのインプットを知識と経験でアウトプットに変えなければならないのに、そのインプットがないのですからレベルの低い問題で苦戦して当たり前です。このような問題の背景には、やはり日本での成功体験や、「モノが良ければなんとかなる」といった商品ありきの考え方があります。マーケティングや戦略は二の次になっているのです。
国別の優先順位が明確になる
「なぜ、他の国ではなく、その国への進出を選んだのか?」この問いに明確な回答ができない企業は少なくありません。例えば、ベトナムに進出した企業の海外担当役員に、「なぜインドネシアではなく、フィリピンでもなく、ベトナムを選んだのか」と聞いても、「ベトナムには昔からうちの日本向けに生産している工場があるから」や、「ベトナムは、街に活気があってこれから伸びると思うから」など、どれもふわっとした理由が返ってくることが多いのです。ASEAN など、どこに行っても活気はあるし、活気で言えば、タイやインドネシアのほうが上な気もします。また、生産拠点などの話と、マーケットとしての市場の話では、「作る」と「売る」なので真逆の話です。「なるほど、それで御社はベトナムが先なのですね」と納得できる理由を聞いたことは、今まで多くはありません。しかし、「R」をしっかり行えば、その理由が明確になります。他の国 を差し置いてでもベトナムに力を入れるべきだ、もしくは出るべきではない、ということを導き出せるのです。
アジアで消費市場が形成されるプロセス
ここでアジア新興国で、消費市場が形成されるまでのプロセスについて簡単に説明します。日本のような先進国に比べてあらゆることが遅れているアジア新興国では、市場がどのように形成されていくのか、そのプロセ スを知っておくことは有益です。一般的に、市場形成までに4つのプロセスがあります。 一番最初に起こるのは国の政策転換です。外資系企業の優遇施策などにより、安価な労働力を使って安くていいものを作り、輸出するという構図を作るために、国が海外から企業を誘致するのです。実際にこのような政策が、中国や ASEAN などでは取られてきました。これにより日本をはじめとする外資系企業はこぞって中国やASEANに生産拠点を設けてきたのです。この政府の政策転換が示されると、次はインフラ整備の段階に入ります。メーカーが工場を作る前に、インフラ関連メーカーが先に進出し、電気や下水道はもちろん、工場用地や道路など、生産拠点の運営に必要なインフラの整備が始まるわけです。そしてインフラが整うと、3つ目のプロセスとして、いよいよメーカーが生産拠点を作りに進出します。生産拠点ができると労働力が必要になるため、現地に雇用が生まれ、その国で作ったものが世界中に輸出されていくことで、その国には外貨が入り豊かになっていくわけです。こうして初めて、4つ目のプロセスである豊かになった消費市場が生まれてくるのです。
〜Memo〜
<アジア諸国が消費市場になっていくまで>
私が幼少期を過ごした国の1つであるシンガポールは、今では世界の中でも非常に裕福な金融、貿易、最先端技術開発の拠点的都市になりましたが、私が住んでいた当時の1980年代から90年代は金融貿易都市であることに加えて、政府が世界中の企業を誘致し、生産拠点としても躍進している最中でした。
当時の中国や、他のASEAN 諸国などは、完全に生産拠点の位置付けで、消費市場としての地位はまだまだ小さかったのです。現在の中国や、ASEAN諸国はこうした課程を経て、4つ目のプロセスである消費市場に成長していき、今なお成長を続けている段階です。シンガポールは、完全に消費市場に成長しましたが、中国やマレーシア、タイは、すでに大きな消費市場でありながら、引き続き生産拠点としても重要な位置付けを保っています。近年では、インドネシアが、消費市場として大きな注目を集めており、これからも成長が期待できるでしょう。補足ですが、フィリピンは外資系企業の生産拠点としての誘致政策が遅れ、あまり工場は設けられていません。シンガポールは土地の面積が小さいので、生産拠点としてより金融や、最先端技術の開発や企業のR&D(Research and Development)拠点として伸びていき、その分、マレーシアにどんどん工場が移転していったという経緯があります。大国である中国は、元々は沿岸部に工場がありましたが、沿岸部が 消費市場として成長していき、工場が内陸に移っていきました。今では内陸部の2級都市、3級都市も、消費市場として大きくなりました。現在、生産拠点から徐々に消費市場に移っている最中なのがベトナムです。もちろん、ベトナムはまだまだ市場としては小さく、生産拠 点のほうが優位ですが、今後は消費市場として十分期待できる国の1 つです。そして今、インフラ整備が進んでいるような国といえば、アジアの中ではミャンマーや、カンボジア、ラオスがこれに当たります。しかし、ミャンマーは、2021年2月1日の軍事クーデターの影響で、当面は日系企業が積極的に投資ができる市場ではなくなりました。